第2章 白人性の探求
―白鯨を追って―

前の章へTOP>第2章|次の章へ

メニュー

要約

 白人というカテゴリーは、有色人というカテゴリーを成立させる基準である。有色人というカテゴリーは、白人との比較において語られる。しかし、白人というカテゴリーは、有色人との比較によって分析されるものではない。白人というカテゴリーは、有色人というカテゴリーを設置する基準であると同時に、それ自身「正常」として、観察・分析の対象から外された、いわば、無票・空白のカテゴリーなのである。そうして、白人のカテゴリーから外されたすべての人々は、不完全で異常な人類として、白人性という一つの基準で階層化され、分析される。すなわち、白人性とは完成度の基準、尺度である。

「白人であることは人間であることであり、人間であることは白人であることである。こうして、白人性の概念は普遍化されることで、純粋に人種的な性格を奪われ、普遍主義の言説に取り付いた特殊な残存物として理解されるのではなく、まさに人間の普遍主義の形態として理解されるのである」

 この文脈において、白人とは、他の人類が人種であるのと全く別の意味での人種である。白人は人類の基準としての普遍性を体現した人種である。それ故に、このような形で表現される白人性は、白人の身体や集団としての白人の属性以上のものとして広がり、機能していると考えられる。

アメリカでは、人種差別が反社会的と見なされるようになり、「人種色盲(カラーブラインド)」の原則が主張されるようになった。一切の人種による区別を認めない、というのがその建前であるが、反人種主義を唱えることもまた、人種によって人を区分しているという理由で、人種差別的であるとされてしまう。人種間に経済的その他のいかなる格差があろうとも、それを問題とすることは人種差別的なのである。人種色盲の空間は、白人性が中立化され、自然化され、非白人との出会いの時でさえもそれが無標化された空間である。そして、人種差別は正常性として日常化される。

用語解説

感想

 カラーブラインドの項を読んで、同和問題の「オールロマンス事件」を思い出した。 1951年京都市において、市の職員が雑誌「オールロマンス」に、小説『特殊部落』を寄稿した。この小説は、同和地区の人々をきわめて差別的に描写したものであった。批判を受けて、出版停止を主張した行政側に対し、同和地区の人々は、出版停止は問題の根本的解決にはならない、市行政が部落の劣悪な状況を放置していたことが、差別を助長する大きな原因であると主張した。差別の原因にメスを入れなければ、ただ臭い物に蓋をするだけになるのである。

 同和問題は、所謂人種差別問題ではない。少なくとも、身体面における可視的な差違に基づく差別ではない。同和地区に住む人々は、そうではない地区に住む人々と、見た目に判る差違はない。問題は外見にあるのではなく、歴史的に積み上げられた差別の文脈が、現在も続いていることにある。

 カラーブラインドは、外見的・人種的差違を無視する。人種に関連する、全ての差違を無視する。それは、差別、また現実に現在存在している格差をもたらした、差別の歴史的文脈をも無視していることのように見える。そうして、中立を標榜するのである。そうして、知らずにいることで無罪であろうとするもののように、私には見える。現実を無視して、文脈に対して無知であることを選び、問題に対しては無関心を貫き、そのことで己の無実を揺るがせにすまいとするのである。

 現実に目を向ければ、その現実によって揺さぶられる。だが、無視は何を解決するものにもならない。この二つの間での揺れ動きが、アメリカとブラジル、それぞれのアファーマティヴ・アクションに対する動きの違いとなって現れているように、私は感じた。

コメント 同和地区の人々に対して、特殊な身体的特徴を持つとか、日本以外の民族であるとかという主張がなされたこともあります。ユダヤ人(あまり言い表現ではありませんが)の多くは鷲鼻などでは少しもないのに、現在でも鷲鼻はユダヤ人の特徴とする人が居ます。


白とは無色であることを表し、どんな色にでもなりうる優れたもの、という色についての特徴が、人種間の関係にも当てはめてしまうところが、ちょっとこじつけじゃないのかと思いましたが、もしかするとこれは偶然ではないかもしれないと思いました。第2章は私には少し難しい内容(啓蒙思想などについて基礎知識がないので)もありましたが、人種色盲や無標のカテゴリーについてのところに興味があったのでこちらを選びました。アファーマティブ・アクションをとるのか、反人種主義を唱え、差別の緩和に取り組むのか、どちらがよいのかなどはとても難しい問題だと思います。ただ、アファーマティブ・アクションは白人にとって都合のよいやり方であって、そのほかの人種のためにはならないと思います。白人についての研究というのは、白人自身が一番自分をわかっているのだから白人がやればいいじゃないか、と思いますが、やはり中心にいるものはなかなか自身を客観的に分析ないものであるので、有標のカテゴリーである黄色人種である日本人がその研究をしていることは利にかなっているのではないでしょうか。私たち一般の日本人はあまりにも異人種に関心 が無さすぎるので、この授業で少しでも世界の人種事情がわかればよいなと思っています。

コメント 色の性質と人種はこじつけというか、遊びというか、のりしろのようなものです。理科系の人ですが、授業をきっちりきいてもらっているようで、感激です。


最初この授業を受けて、黒人ではなく白人を研究することに驚いた。黄色人種や黒人が白人のことを特別視していることは否定できないが、そのことが逆に言えば白人を私たちが差別しているのではないだろうか。

コメント 白人の中には逆に差別されていると考え、それを裁判に訴えている例も多くあります。ただし、ハリケーン・カトリーナ被害を受けた人々の様子を見れば、現実がどうであるかはわかるでしょう。


TOP 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 2021 E