第11章 一つの国民、一つの運命
−連邦運動の展開−

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要約

ゴールドラッシュ以降の長期経済成長の後、1890年代に入るとオーストラリアは金融恐慌により、大きな打撃を受けることとなる。この経済状況の大きな変化は、社会構造の変化を求める人々を生み出した。派閥政治は解体し、それぞれ社会改革プログラムを掲げる、労働党、保護貿易派、自由貿易派などによる党派政治へと移行していく。議会においても、女性による参政権運動など多くの改革運動が生まれた。

このような状況で、全植民地を包括していくようなオーストラリア連邦の結成が現実的な課題となっていく。関税同盟をめぐって植民地間会議がもたれ、全ての植民地が統一関税を望ましいとした。しかし、その内容をめぐってヴィクトリアとニューサウスウェールズが対立することとなる。このように、統一関税は植民地統合の最大の障害であった。

オーストラリア連邦は、イギリス帝国内に国家を創設する試みであった。しかし、それはヨーロッパ型国民国家とは異なり、帝国の枠組みを認めるものであった。

一連の連邦結成運動のなかで、それまでタブーとされてきた女性の政治への進出が、各地で行われた。さらに、連邦議会の制定する最初の選挙法により、すべての女性の参政権が事実上決定した。このように女性の権利は拡大されたが、一方で白豪主義を可能とするような移民制限が認められたり、アボリジナル差別を象徴するような条文が加えられたりした。

用語解説

感想

第9章の感想でも取り上げたが、権利の拡大と同時にそれとは逆の論理も共存している。ここでは、女性の参政権が連邦規模で承認されていったのに対して、アボリジナル差別や白豪主義を可能とするような移民制限が認められているようにである。こういったことを可能としていたのは何だったのだろうか。私には人種の論理が強調されているように見える。だとすると、それはこの変革の時代にどのような影響を与えていたのだろうか。

コメント 近代世界では、民主主義と人種主義が共生関係にあったように見えます。


帝国という大きな枠組みに入ることを望む一方で、州としての自分たちの独自性、自立性を求めていくという複合的アイデンティティの存在の仕方が興味深かった。現在一体化しつつある世界の中で、独自性を発揮していかなければならない諸国に、これから参考になるアイデンティティの存在の仕方なのではないかと思った。(例えば、地球民として、アジア人として、日本人としてというような)

コメント アイデンティティを必要とするのは、その存在が不安定になってきた個人や団体、国家などです。のはらしんのすけ君にはアイデンティティは不必要かもしれません。父母の見せたくない番組3位。


オーストラリア連邦の結成が、経済危機という非常に現実的な事がきっかけとなって始まったことが興味深かった。私は植民地そのものが拡大し隣接しあうようになる中で同じ「イギリス臣民」というアイデンティティからオーストラリアの各植民地が連邦を構想するようになっていったものと考えていた。しかし、当時の多くのオーストラリア人にとって「イギリス臣民たる事」は共通のものであったようだが、それにもかかわらず連邦結成の試みが各州の思惑によって幾度か失敗に終わっているのを考えると、「イギリス臣民」というより広大で、そのために希薄なアイデンティティに比べ、自分が実際に生まれ育った州に基礎を置いたアイデンティティの方がより人に与える影響は大きかったのだろうか、と思う。日本というオーストラリアとは異なった国に住んで、既に連邦化されたオーストラリアを知っているだけに、昔の人々の考えを考える際にはより慎重な検討が必要とされるのだと改めて実感した。

コメント クィーンズランドのテレビでは、オリンピックの金メダルをオーストラリア何個、クィーンズランド何個というふうに数えているよ。


オーストラリアの各植民地を統合した連邦を結成しようという動きの中で開かれた会議にはニュージーランドも参加していたのに、オーストラリア連邦結成には参加していなかったことにはどのような理由があったのかとても気になる。

オーストラリアの白人の歴史が流刑囚から始まったために男性人口がはるかに女性人口を上回った時代が長く続いたという社会的背景があったけれども、20世紀のはじめに男女とも参加する普通選挙制を導入していたということは賞賛に値することだと思う。

コメント ニュージーランドの問題は今後の研究のキーポイントだ。まあ普通の発想だが。


直接民主制を基盤として、連邦が成立する例は、スイスなどに見られるが、オーストラリアの事例も先駆的なものとして注目される。だが、イギリス帝国との結合を前提とした連邦結成は、現在にいたるまで、オーストラリア国民のアイデンティティに深刻な課題をつきつけてはいないか。また、白豪主義という負の側面がこの時に始まったことは、現在に通じる問題として、直視する必要があるように思われる。

コメント 共和制の問題もあるし、難民に関する「オーストラリアの要塞化」の問題もありますね。


オーストラリアの連邦化はアメリカとは非常に違った視点から行われている。イギリスという帝国からの分離が滞りなく行われた例にあたるであろう。そして、その過程で民間が大きな役割を果たしたことも特筆すべきではないだろうか。また、オーストラリア連邦化後、世界でも最初期に女性参政権が認められている。その寛容さはオーストラリア人の白人文化の性格の正の一面であるように思われた。しかし、ここでも同時に取り上げられたアボリジナルへの権限縮小もまた、負も一面として白人文化に付随したものだということが印象に残った。

コメント 正負は同じ紙の表裏かな。


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