第17章 動員される人々
−第2次世界大戦の衝撃−

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要約

第二次世界大戦が勃発すると、前大戦同様、オーストラリアも自動的に戦争状態に突入したと考え宣戦布告した。しかし内実、政府内ではヨーロッパでの戦争は歓迎していなかった。1941年に太平洋戦争が始まり、ダーウィンで日本軍の襲撃を受けた。オーストラリアはアメリカに相互援助を求め、カーティン首相はオーストラリア防衛のためにイギリスが要望したビルマへの軍派遣を拒んだ。

第一次世界大戦時に比べ、今回の戦争では政府はより対応能力を持っており、第二次世界大戦期における危機意識はオーストラリア国民を団結させ、人々は生活や労働に対する政府統制の拡大を受け入れていった。さらに連邦政府の権限も拡大した。政府は国家安全保障法を成立させ、報道規制で国内の治安維持活動に努め、手紙の検閲を行い、オーストラリアの工業拡大策を図り贅沢品の生産を止め、生活必需品を生産した。また、多くの女性が軍役や労働の場に加わり、農業活動を行い、伝統的に男性によってなされていた様々な職種で働くようになった。

オーストラリア軍は、太平洋地域に展開する米軍の拠点となり、終戦まで日本軍と戦ったが、終盤、十分な部隊を派遣できなくなっていたので、市民軍が結成・派遣され、彼らは勇敢に戦った。またオーストラリア本土の一般市民は敵からの攻撃に備え、町並みや住宅を変えていった。犠牲者の数は第一次世界大戦の時よりも少なかったが、社会に与えた衝撃は遙かに大きかった。

用語解説

感想

第一次世界大戦とは異なり、第二次世界大戦ではイギリスよりもアメリカに援助を求めた。日本軍の侵略などで、この大戦がオーストラリアにとって本土侵略の可能性を持った切迫したものであったと想像できる。戦中の国内統制に乱れがないように感じる。戦死者の数が第一次世界大戦よりも少なかったということは、アメリカと同等に前線に出て戦ったのではなくて、後方支援のような形を取っていたと考えることが出来るのだろうか。

コメント オーストラリア人は、ほとんど戦局に影響のないニューギニアで多数の死者を出しているよ。無駄死にだという人もいる。戦死者が少ないのは、ほかに陸上での大規模な戦闘が少なかったからさ。


第二次大戦時はおろか、近代以降オーストラリアにとり日本が軍事的脅威であり、潜在的仮想敵国であった、ということにまず驚いた。第一次大戦までは付近にドイツ領ニューギニアがあったし、何よりイギリス帝国という枠組みの中にあっては日本は所詮軍事的にはそこまでの脅威ではない、と考えていたからである。オーストラリアの歴史を学んだおかげで戦前日本のミリタリー・パワーとしての存在の想像以上の大きさを知った感じである。

私は日本軍によるダーウィン空襲しか知らなかったので、日本軍の脅威がここまでオーストラリアに迫っていたのには驚いた。そうなるとオーストラリア人にとっての日本のイメージは私が考えていたのとは幾分異なったものとなるであろうし、それは必然的に私が戦後の日豪関係史に対し持っていたイメージをも変えるものである。

コメント 今でも8月15日にはオーストラリアでは外には行かないほうがいいかもしれない。まあたいしたことはないけど。


第2次世界大戦のときのオーストラリアにおける報道統制、兵士の手紙の検閲、女性の男性職業への進出、男性の動員などは、ほぼ同じことが日本でも行われたりおこったりしていたことであり、とても興味深い。オーストラリアで日本軍の攻撃に備えて防空壕を掘ったり灯火管制をし、さらには防空訓練まで行っていたというのも初めて聞いた話で興味深かった。

コメント この部分ほんとうはもう少し長かったけれど、少しけずってもらったんだ。日本でもあったことだから。


第二次世界大戦はオーストラリアにとって、イギリス帝国への忠誠からアメリカ合衆国への依存へと変化していく大きな転換点となったと見ることもできる。このような中で、イギリスが孤立し、ドイツから空爆を受けている時に、オーストラリアの志願兵が急増したことと、チャーチルのビルマ派兵をオーストラリア政府が拒否したことなどから、この時代のオーストラリアのイギリスに対する意識や忠誠心といったものの複雑性や重層性が見て取れて面白く感じた。

コメント オーストラリア人といってもいろんな人がいたと思うよ。少し考えてみるといいね。


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