第6章 白い先住民
―ネイティヴ・オーストラリアン―

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要約

ネイティヴという言葉は、普通先住民を意味するが、オーストラリアでは、アボリジナルの激減などから、現地生まれの白人の呼称として広まった。「白い先住民」の誕生である。また、総督により、特別に解放された流刑囚、「エマンシピスト」や、エマンシピストの権利拡大に反対した自由移民、「インクルーシヴズ」、進出の禁止された地域に入植する「スクオッター」など数々の呼称が生まれた。

当初、スクオッターは、豊かな入植者の近くに住み、家畜泥棒を行う無法者を指したが、インクルーシヴズやジェントリが、エマンシピストと同じように、境界を越えて、不法に土地を所有するようになると、スクオッターの持つ意味も大きく変わった。

政府は、増え続けるスクオッターの現状を追認し、許可料の支払いにより、未開拓の公有地での放牧を許可した。これにより、オーストラリアでの牧羊産業は飛躍的に発達し、19世紀中頃には、羊毛が、主要換金商品として、オーストラリアの産業を支えた。

このような未開拓地への進出は、先住民との争いを増加させた。また、イギリス人支配が確立した土地にも先住民は生き残っていた。先住民の文明化のために、先住民学校が創設されたり、各地に伝道教会による伝道所が設立されたが、ヨーロッパ人と先住民の価値観の相違を打ち破ることはできなかった。 この間、オーストラリアでは、エマンシピストやインクルーシヴズの手によって、新聞の創刊、立法議会の創設、拡大など、自治植民地の基礎を作り上げていった。また、各宗派による初等教育も始まった。当初、教育において、特権的地位が与えられたアングリカン教会であったが、1833年には、特権が廃止された。40年代には政府による学校援助という形での複合的教育システム、51年には、南オーストラリアにおける宗教に対する援助の廃止などの流れから、70年代までに、「世俗的な無償の義務」教育の一元的な導入が見られた。

オーストラリアでは、アメリカのように新しい宗派が増殖することはなく、イギリスの宗派を、基本的に体現しており、宗教は、ヨーロッパに対してオーストラリアの独自性を主張する要素にはならなかった。

用語解説

感想

オーストラリアが自治植民地としての基礎を固めていく過程がよく理解できた。エマンシピストという存在は、知らなかった。以前から、オーストラリアにおけるフロンティア概念に興味を持っていたが、スクオッターの話を読み、少しながら感じがつかめた気がする。コラムにあったように、オーストラリアでは個人史が流行っていて、自らの祖先が流刑囚と知ったら大喜びするだろうという記述は興味深かった。

コメント 個人史のために古文書館はあるようにさえ感じるよ。


6章で囚人に関して私が意外な感じがしたところが二点ありました。一つ目は、もともと流刑になった人の中にも、成功して人生を終える人がいるということです。たとえ囚人が許されたとしても、それ以降の人生はずっと後ろ指をさされながら生きていかなければならない、というようなイメージがありました。二つ目は、窃盗や馬泥棒などあまり重罪とは思えない罪を犯した人がオーストラリアに流刑になったということです。窃盗で自分の命も危ないような船旅に出されるとは思いませんでした。

コメント 古い刑法では、窃盗は重大な罪で死刑判決が下されることもしばしばでした。また、逆に労働者の多くの人にとって、犯罪者になるかどうかは偶然の所産であり、道徳的な非難は厳しくありませんでした。上流層は別ですが。


ヨーロッパ文化の優越性を固く信じているヨーロッパ人入植者からすれば、先住民は教育もない未開人であったかもしれないが、だからといって先住民がヨーロッパ式教育を望んだとはいえないだろう。時間に厳格で、常識やマナーに縛られるヨーロッパ文明より、彼らは自由と快楽を望んだかもしれない。それはどちらが正しいというものでもなく、お互いに尊重されるべき文化なのであろう。

コメント ヨーロッパ人だって、そんな教育を望まない人はたくさんいたに違いないでしょう。日本人は今のような教育制度を望んでいるのかな。


ヨーロッパなどの話でいつも不思議に思うことが、同じキリスト教内で様々に対立していることです。日本ではプロテスタントとカトリックの区別もつかない人が多い中で、伝わって500年程度の日本にとってのキリスト教と、キリスト教の中で発展してきた(といっては語弊があるかもしれませんが)ヨーロッパ系の人々の宗教観というものは全く異なっているのだと改めて感じさせられました。

コメント アメリカ人の偉い学者でも、キリスト教といえばプロテスタントだとしか考えない人が今でもいることのほうが興味深い。


オーストラリアはいま個人史ブームで、個人史を書いているのは、中産階級の子育てを終えた中年女性とのこと。日本の多くのお母ちゃんたちに教えてあげたい。昼ご飯の片づけが済んで、ゴロンと横になって、「おもいっきりテレビ」を見ながらせんべい食って、みのもんたの話にうなずいて、バカ笑いしながら屁をこく。いやこりゃ典型化しすぎか。ともあれ僕ももし専業主夫になったら、個人史を書いてみようと思います。

コメント 個人史なんか書かないほうがいいよ。もう少し創造的なことをしよう。


入植(=侵略)に際し、先住民の権利等の意識を持たないヨーロッパの姿勢から、身体的特徴によって人種を区分するという当時の思潮について改めて考えさせられる。 開拓・植民にあたってヨーロッパ側は当然、先住民を交渉の対象とは考えておらず、したがって彼らの期待した互恵的関係とは決して成立し得なかったものであると言えるだろう。庇護の代償として女性を差し出すという行為もまた、ヨーロッパ人が彼らを未開とみなす要因のひとつであったのではないかと思う。

コメント 交渉相手と見ていたかどうかは、あまり一般的な結論を急がないほうがいいかもしれない。ヘンリー・レイノルノズのLaw of the Land を読んでみるといい。


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