第9章 派閥政治の展開
―長期高度成長の時代―

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要約

責任政府制度に基づく自治政府が発足すると、保守派とリベラル派が政権をめぐって争った。当初は保守派が政権を担ったが、いったんリベラル派が政権につくと、男子普通選挙権の導入や急進派の吸収によって政権を掌握し、1860年台から80年代まで、長期経済成長とリベラル派支配の派閥政治の時代が続いた。経済成長のなか、労働者の賃金は上昇し、余暇が増え、娯楽が拡大した。

しかし、政治的・経済的な領域で階層間の差別が消滅する一方で、中・上流層は社会的な差異の維持に固執するようになる。中・上流階級は、私的な領域での下層の人々との接触を避け、家事奉公人を雇って華やかな社交生活を営んだ。また、スポーツにおいては、階級以上にジェンダーの支配を受けており、男性的ナショナリズムの主要な要素となった。

この時代は、ゴールドラッシュ期に拡散した人口が、メトロポリスへと再び集中を強める時代でもあった。メトロポリスは、政治・貿易・金融を牛耳る中核都市に成長し、公共交通機関の建設によって大都市の郊外の発達も進んだ。このような急速な都市の発展、経済成長と開発は市民の生活に大きな歪みをもたらした。人々は開発や環境の改善を求めて、パブリックミーティングと呼ばれる市民集会を開くようになり、それは世論形成の大きな力となった。

用語解説

感想

この時代は、民主化が進み、都市が発展していったけれど、その半面で差別意識は膨らみ、スラムが生まれ、階級による分離が進行するなど、何だか表と裏のある時代だな、と思った。でも中・上流階級が階級に固執して、自分たちを優越的な立場に置いておきたいと思う心理は理解できるし、どの時代でもこういう表と裏は必ずあるのだろう。また、私は女性史に興味があるので、スポーツとジェンダーの関係についてが興味深かった。

コメント 女性のスポーツはいいテーマだと思うね。オーストラリアでも男性の規範に従わない女性スポーツマンは追放されたりしてきたんだよ。ドーン・フレイザを調べてみたら。スポーツマンシップなんて、歴史的にはろくなものじゃないよ。スポーツ切り。


娯楽の領域では階級による分離が進行していたようですが、パブリック・ミーティングはいろんな階級の人々が、入り交じって開かれていたのでしょうか。それとも、娯楽に参加するときと同じように、中産階級と労働者階級の人々は、別々のパブリック・ミーティングに参加していたのでしょうか。章の最後に、北部オーストラリアに関する話が出てきましたが、前の文章とのつながりがよくわからなかったので、少し唐突な印象を受けました。

コメント パブリック・ミーティングでも上流層の支配が強く働いていました。北部オーストラリアは、時代的なつながりです。


この章の終わりの方に出てくるクリケットやスカルの話はとても興味深い。オーストラリアの入植者たちにとって、クリケットやスカルにおけるイギリスに対する勝利が本国に対する劣等感の解消の機会であり、彼らが勝利を植民地成長の証と主張したことは、スポーツの普及においてその競技の性質以外の何かが必要であることを表しているのではなかろうか。

コメント 帝国主義やナショナリズムはスポーツと深く関わっているのは、誰の目にもあきらかです。研究するときにはそれをどう料理するかが問われます。


この時代には、自由主義派の政策を通じて民主的改革が進むことで、女性を含まないなど限定的ではあっても白人の間の均質性が高まっていったようである。しかし、その一方で北部オーストラリアの開発は、有色人種の非自由労働を伴ったものであった。このように、一見して進歩的に見える権利の拡大の影で、有色人種の非自由労働を可能とするような論理が働いていたことが伺える。

コメント いい学生のコメントです。一般的な基準で優れた学生という意味で。でも、ときにはおっと驚かせてほしい。


本章の対象とする時代は、現代オーストラリアに多くの基盤をもたらしたといえるだろう。例えば、多くの人々が観光で訪れる都市の風景はこの時代に作られるのである。また、パブリック・ミーティングのような市民の政治参加が大きな影響力を持った点も、現代の民主主義のあり方に示唆を与えるだろう。しかし、ジェンダー支配の強化や、有色人種労働者の流入といった、マイノリティをめぐる問題の表面化を見逃してはなるまい。

コメント 感想があまりにも一般的過ぎじゃないかな。まるで東大の総長の新聞談話みたい。


オーストラリアのパブリック・ミーティングはなぜかオーストラリア人の心性を見事に示しているように感じた。公共の空間への進出は、市民の権利の拡大を示すが、同時に非人道的な行為、とりわけアボリジナルや、果ては太平洋上メラネシアの島民にまで強いた強制労働の並存は酷く違和感を覚える。

コメント パブリック・ミーティングは、中国人排斥を主張する主な舞台となり、いわば人種主義の温床となった。いわゆる市民の活動の拡大は、いいことばかりではないね。NGO礼賛はよくないよね。歴史には光と影の両面があるけど、勝者の歴史で失われた影を顕彰するのは歴史家の大きな仕事だね。


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