第12章 国民的体験を分かち合う
−アンザック神話−

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要約

第一次大戦の少し前にオーストラリアは海軍を創設し、12〜18歳の男子には軍事訓練を義務化して有事の際には民兵として本土防衛にあたらせる体制を整えていた。多くのオーストラリア人はイギリス帝国に属していることを誇りに思い、その戦争に際して協力することは当然だと考えていた。第一次大戦が始まるとオーストラリアもドイツに宣戦布告し、海外へ送るためのオーストラリア軍創設のために志願兵を集めた。志願兵は国内での訓練を終えるとニュージーランド兵とともに中東に送られた。彼らは通称「アンザック」と呼ばれた。アンザック兵はイギリス軍、フランス軍とともにトルコ軍の守るガリポリの攻略に参加したが、この戦いは完全な負け戦だった。しかしガリポリでの作戦はオーストラリアでは過大に報道され、作戦が敢行された日は祝日となった。

第1次大戦まではブッシュマンこそが真のオーストラリア人だとされてきたが、第一次大戦が始まってからはオーストラリア兵こそが真のオーストラリア人であるという認識がなされるようになった。ブッシュマンの備えた資質と同じものをオーストラリア兵も持っていると大きく宣伝された。彼らの資質を強調したアンザック神話には、事実を反映していない、女性やアボリジナルを含んでいないなどの批判もある。しかしアンザック神話は今もオーストラリアでは健在である。

用語解説

感想

オーストラリア軍が創設されたときに兵は志願兵で集まったけれども、それを指揮する下士官・将校はどうやって集めたのかとても気になる。

ブッシュマンの資質を備えた人が真のオーストラリア人であるという考え方には、武士の心を持った者が真の日本人であるという考え方と共通する部分があっておもしろいと思った。

コメント ダントルーンに士官学校が作られていたが、それでは将校に十分ではなく、上流階級の子弟、有名私学出身者が将校に選ばれたんだ。多分そうだったと思う。日本人のほとんどが武士でなかったようにというところも共通だ。


わたしは、アンザック軍という存在をはじめて知りました。100年近く前の出来事にさまざまな世代の人々が現在においても興味を抱いているということが、アンザックの影響力の大きさを示しているのだと感じました。日本はずっと以前から国家として存在しているから、そのようなことがないのでしょうか。日本では、同じ祝日であるのに「建国記念日」や「憲法記念日」に興味をもつ人は少ないのではないかと思います。

コメント 私の本『オーストラリア歴史の旅』で祝日について少し扱いました。そのころは誰も祝日の歴史に関心を持たなかったのに、最近は人気を博しています。


こうしたものは其々の国で誰によってどのように作り上げられてきたのか、ということに興味をもちました。また国民が共有するイメージというのは、勿論自分にも刷り込まれているものなんだとはっとしました。適切なものが思い浮かばなかったのですが、忠臣蔵は似たところがあるかな…と思いました。日本人がそのなかに日本人としての美徳を見ている点、多くの人はこうは生きられないけれどこういう理想は実際に存在しているという点で。

コメント 外国人はよくそう言います。


オーストラリアの歴史は浅く、しかもイギリスの植民地国家であったがゆえに、アンザック軍のような「事件」が「オーストラリア人」としてのアイデンティティの原点・核となりえたのだろうか。少なくとも私たちの「日本人」としてのアイデンティティは歴史的始点を決められるものではない。また、アンザック神話は女性やアボリジナルをも含むものではないが、それにもかかわらず現在でもアンザック神話が行き続けているのである以上、女性やアボリジナルにとってアンザック神話とは何なのだろうか。

アンザック神話の中心はガリポリ上陸作戦と3年後のアンザック・デイにドイツ軍の侵攻を食い止めたことであるが、自分たちに対し勝利を収め、しかもイスラム教徒であるトルコ人に対しては悪魔化するどころかある種の愛着を感じ、自分たちが勝利したドイツ人に対してより強い敵意を持っていた、というのも不思議である。

コメント アンザック信仰は不思議なことが多いよ。日本では十分に扱われてこなかったので、いい研究対象だね。少なくとも木曜島の研究よりはいいよ。


アンザック軍がオーストラリア人を結びつけ、アンザック・ディやアンザック神話が人々のナショナリズムを高揚させていった過程がよく理解できた。戦争参加もそれにより死者が出ることも、この戦争においては当然のことと考えられていたのか。しかし、アンザック軍はオーストラリアとニュージーランドによる軍隊であるということは、ニュージーランド人にとってのアンザック軍とはどのようなものであったのか。同じように神話となっていったのか。

コメント ニュージーランドはどうかと考えるのはおもしろい視点だね。ニュージーランドでも兵士のことをディガーと呼んだりするから、比較するとおもしろいだろうね。


歴史の浅い国にとって、そのアイデンティティーを形成するためには、国民全てが共有する出来事があれば、それにこしたことはない。多くの国にとっては、それが独立戦争ということなのだろうが、本国イギリスと良好な関係を保ち、独立の際、血の流れなかったオーストラリアにとっては、アンザック神話こそが、国民が初めて共有することのできる出来事として語り継がれ、神話化されたのだろう。第十五章とともに最も興味深い章の一つだった。

コメント 私の『オーストラリア歴史の旅』の第1日を読んでみて。少しは参考になるかも。


アンザック神話のような国民国家の形成に利用されるようなある種の神話と言われるものは、国民国家の形成に適するように事実や、情報の取捨択一が行われていくものと言える。その中で、敢えて完敗を喫した戦いを国民国家形成の神話に選択しているのは珍しいことなのではないかと感じた。そこにはイギリスも敗北したガリポリ上陸作戦を選択することによって、イギリスからの自立も含めた国民国家の形成という意図があったのだろうかと思った。

コメント 歴史には偶然と必然があると思うけど。それを事件と構造とでも呼ぶのかな。ガリポリは事件だけど、それがアンザック神話の中で構造化されるんだね。そこにはどういうプロセスがあったんだろう。考えてみるとおもしろいね。


「アンザック神話」は、歴史の浅さやオーストラリア人としてのアイデンティティの拠り所のなさといった、いわば劣等意識、不安感のなかで生まれたものであるといえる。アンザック兵を理想化し、実にさまざまな手段で戦闘をたたえるのは、「アンザック神話」が忘れ去られ、自らのアイデンティティが消滅するのを恐れるからではないだろうか。そうした「アンザック神話」を国民がどのように理解し、評価しているのか疑問である。

コメント 多くの問題を不安感に解消してしまう、最近の研究には疑問を感じるね。


アンザックという単語は耳慣れないものであったが、独立のための戦争という経験を持たないオーストラリアにおいて、国家としての歴史への初参加が神話となり、国民的体験としてもてはやされたという流れには、納得するところが多かった。オーストラリアを国家として、自分をオーストラリア人として意識する契機となったのであれば、敗退という本来なら負の記憶が、より「忠誠」「犠牲」等のカタルシスを帯び、神話として理想化される過程も理解できる。

コメント 歴史を世界的なコンテクストの中で理解せずに、自分よがりに解釈するからこんな神話が生まれるんだ。積極的は理由は何もなく、外国に出かけていって、多数の死者を出した馬鹿げた行為を反省すべきだったと思う。


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