第7章 航海の多文化主義
―移民の国―

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要約

オーストラリアへの入植はヨーロッパ人によって始められ、入植後の最初の半世紀における移民のほとんどは流刑囚であった。その後、白豪主義がアジアからの移民を妨げたものの、第二次世界大戦後、東南ヨーロッパからの移民の導入や白豪主義の廃止によって移民構成が多様化し、本当の意味での移民国家となった。

イギリスの東部オーストラリア入植は主に囚人労働力によっておこなわれた。最近の学説は、過酷な取り扱いなどではなく、囚人労働者としての質の高さや流刑労働システムの効率性を強調している。

民間主導の西オーストラリアの入植の失敗を見た植民地改革主義者は組織的植民地論を主張した。これにより、移民の多数が囚人ではなく補助移民になった。これも失敗したものの、牧羊産業や銅の発見などにより経済が刺激され、植民地活動は回復した。しかしその影でアボリジナルの権利擁護の意識は急速に薄れていった。

初期の植民地は男性の割合がとても高く、男女数の不均衡は売春や道徳的堕落を引き起こしていた。そのため補助移民制度の運用においても男女数の均衡が意識され、女性には「神の警察」としての役割が期待された。

移民船内では、特権意識を持ったキャビンの乗客とスティアレジと呼ばれる3等客室の乗客とに分離されており、スティアレジの中ではさらに民族、宗教、男女などにより移民たちは分離されていた。

19世紀の船医の最も重要な任務は伝染病の発生を未然に防ぐことであり、医者としての能力が発揮できるのは外傷の外科的な治療を行う場合であった。そして、助産師や失神するヒステリー状態の上流の女性を介抱するのも船医の仕事であった。

用語解説

感想

何よりも女性の入植者の少なさに大変驚きを感じました。そして、移民船内で女性を隔離するほどまでになったということで、道徳的な堕落がいかほどだったのか、と考えさせられました。それ以外にも船内でこれほどまで分離がなされていたことも驚きで、階級社会なのだ、ということを感じさせられました。また、船医の仕事は大分イメージと違っていて面白かったです。

コメント 当時の男性中心社会の女性を見る目の異様さはよくわかると思う。船医だけでなく医者の具体的な研究は、日本の西洋史ではあまり行われていないので、今後はねらい目かも。


流刑囚にマイナスのイメージを抱いていたので、本国の労働者より労働条件が良い場合もあったという主張が新鮮だった。また、女性に植民地の道徳を維持する機能が期待され、女性補助移民を意図的に増加させる政策が取られたことは、女性の地位についての考察に影響する事実だと思う。

コメント 女性移民の問題は、現在の移民史の重要なテーマですが、新しい視角からの切り口が必要です。


最初は流刑囚ばかりであったオーストラリアに次第に自由移民が増えてくる。彼らは階層が固定化され、チャンスを得られない本国に見切りをつけ、新天地での成功を夢見ていたのだろう。たしかに、発展途上であまり固定化されていないオーストラリアでチャンスをつかんだ者もいただろうが、多くの者は過酷な労働に苦しんだに違いない。何もないところから、すべてを生み出していくということは、なんとも大変な試みである。

コメント 多くの人はイギリスやアイルランドにいるよりもちょっとだけいい生活をしたかっただけだと思うよ。多くの中産階級の移民は、本国では没落しかないと思ってオーストラリアに来たんだ。


19世紀中頃まで続く流刑制度だが、その囚人労働力が質の高いものであったということは驚きだった。識字率でも本国を上回っていたという記録もある。植民地オーストラリアが農業社会としてではなく、極めて都市的であったことにも頷ける。また、流刑植民地から自由移民の植民地への変遷が、オーストラリアの白豪主義の意識的な拡大を招いたのであろう。

コメント 流刑囚が質のいい労働力とは意外な事実だね。歴史研究にはオヤと思うようなところがないとおもしろくないね。


第四章でも言及されていたように、初期のフェミニストらは植民地における女性囚の多くを売春婦と認め、彼女らを植民地社会による性的搾取の犠牲者であるとしている。こうした売春や男女数の不均衡がもたらす道徳的堕落といった植民地の現状を耳にすることもあっただろうから、女性にとってオーストラリアに渡ることは、男性以上に不安を伴うものであったに違いない。植民地において、高潔な女性による健全な家庭が植民地道徳を改善するというプロパガンダが提唱される中、流刑囚の代替労働力、補助移民としてオーストラリアに渡った女性には、植民地での生活はどのように知らされていたのだろう。彼女らは植民地における自分の立場や将来をどのように捉えていたのだろう。同じ女性として、彼女らの真情を知ることができたなら、と思う。

コメント 女性移民については、私がいくつか論考を書いているよ。西洋史研究室の教員の紹介のところで、私の業績を調べてみて。


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