第3章 抵抗の文化戦略
―植民地化されたアボリジナルの歴史―

前の章へTOP>第3章|次の章へ

メニュー

要約

1788年に始まるイギリスを中心としたヨーロッパ人の植民は、急速にオーストラリア大陸の全域に及んだ。それらの人々に最初に遭遇した南東部のアボリジナルは、自らの社会と文化を知らしめるために、しばしば彼らを儀礼に招いた。南東部のアボリジナルがとったこの戦略は、その後の200年にわたって大陸の各地で採用され、アボリジナル文化が持つ価値への承認と、ヨーロッパ人に対する非暴力的な抵抗運動へと展開していった。

アボリジナルの求める自らの社会と文化が持つ価値の承認とは、ヨーロッパ人との対等な立場の獲得であり、すなわち地方的な自治の承認であった。アボリジナルの抵抗戦略は、1950年代以降の鉱山開発を意図したヨーロッパ人による、北東アーネムランドへの侵入を契機に、「エルコウ島の記念碑」という形をとって顕在化した。その後、同様の鉱山開発に抗議する請願書は、樹皮画とともに提出された。このように、絵画芸術がしばしば用いられる理由は、それがアボリジナルの土地との結びつきを雄弁に語るからである。こういったアボリジナルと土地をめぐる運動は、現在では先住民権原と土地権をめぐって広く行われている。

このようにオーストラリア法の枠組みの中で権利を獲得してきた彼らだが、同時に現在の多文化主義に疑念を抱いている。なぜなら、多様な文化の存在を相互に認めあうこの政策が、アボリジナルの経験した植民地主義を移民の持つ諸文化の中に相対化してしまうことを恐れているからである。

用語解説

感想

アボリジナルの絵画は、彼らとその土地との結びつきを証明し、土地との結びつきは彼らの存在を証明してくれるものであったようだ。しかし、その土地を失い、都市に居住しているものもいる。アボリジナリティに関する一項は、混乱したアボリジナルのアイデンティティを伝えてくれる。

コメント 最近は都市先住民の研究が進んでいます。大野さんという人は、リズモー周辺のバンジャラングのアボリジナルを研究し、かれらはニジヘビ(多くのアボリジナルにとっては創造主)を悪魔の使いだとしているという例を報告しています。


このようなアボリジナルによる一連の抵抗運動に文化的な側面があることは非常に興味深い。外からの圧力に対してそれに抗するかたちで自らの文化を再構成していく過程は、よりグローバル化が進んでいこうとしている現在の世界にとって、興味という言葉に留まらず、とても学ぶこところが多いのではないだろうか。

コメント ポイントをついていると思います。


アボリジナルの抵抗運動があったことは承知していたが、それが、彼らの聖物の公開や伝統芸術に基づいて主張されていたということに驚いた。しかし、単に土地所有を訴えるのではなく、5万年以上にも及ぶ彼らの歴史を主張するためには、創世時代以来の土地との神話的な結びつきを提示する必要が理解できる。また、白豪主義や同化政策だけではなく多文化主義が彼らにとっての不安に繋がることもあるということも興味深い。

コメント 多文化主義と先住民の問題は十分検討に値する研究テーマです。


本章には記述がないが、アボリジナルの抵抗は入植してきたヨーロッパ人の武力による強制的な土地の収奪、権利の迫害を受けて起こったものである。それにもかかわらず、一貫して絵画芸術など非暴力的な手段で抵抗したことに、アボリジナルの価値観の確かさ、歴史の深さを感じられる。それは、武力攻撃に対しては武力でもって対抗するというヨーロッパ的な価値観とは対極に位置するのだろう。

コメント 先住民も武力で抵抗しましたが、19世紀の半ば以降は、圧倒的な兵器の威力の差のために、武力抵抗はあまり意味をなさなくなりました。


TOP 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20