第4章 夢のナポレオン大陸
―囚人植民地の建設―

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要約

1770年、ジェイムズ・クックは東南部オーストラリアをニューサウスウェールズと命名し、イギリスによる領有を宣言した。そして流刑囚人の受け入れ先として、イギリスによる植民が始まった。国家の起源が流刑地であるという考えは、ナショナリスティックな歴史家にとって受け入れがたいものであり、海軍の戦略物資の獲得、及びフランスの植民地建設に先んじることも、植民地建設の目的としては重要だったと主張されている。それらはある程度の妥当性を持つと言える。

太平洋は未知の領域であり、科学的な探究心を喚起したが、その根本には、征服の欲求が存在していた。植民地総督たちは先住民との友好を保つよう心掛け、また先住民も必要以上の接触を避けた。しかし、ヨーロッパから持ち込まれた伝染病は、免疫のない先住民に打撃を与え、30〜100万人だった人口は1920年には7万人に減少した。装備の点で勝る入植者は、弱体化した先住民社会を征服した。またヨーロッパ人たちはしばしば先住民の女性を略奪した。先住民の中には互恵的な友好の印として女性を差し出す者がおり、また、生活の手段を奪われた先住民が、女性のサービスの提供を行う場合もあった。一方、流刑囚の女性も売春婦であるとみなされたが、この見解はフェミニストの歴史家の批判を受けている。囚人植民地社会と、その中における女性囚人の捉え方については、多くの問題点が残存する。

用語解説

感想

流刑を国家の唯一の起源としない考え方が興味深かった。植民地建設の主たる目的は、やはり流刑地の確保だったと思われる。また、友好の証に女性を差し出す風習が先住民にあったことと、それをヨーロッパ人が売春とみなした点が、征服者と被征服者の関係をよく表していると思う。

コメント 先住民と売春の問題は、このテキストに書かれていることをそのまま信じないでください。議論するには、もっと多くの知識を蓄える必要があります。


この章の最後に取り上げられている売春についての項は非常に興味深い。ヨーロッパ人はしばしば先住民の女性を強姦したが、一方でヨーロッパ人と接触した先住民の中には彼らの義務と権利の互恵的な関係にヨーロッパ人を引き入れようとし、友好的な関係に入る印として女性を差し出すのである。このことは現在の性意識からはなかなか理解しにくいことであるが、当時の時代には受け入れられていたものであり、それだけに現代の私たちの思想を相対化する力を持っているのではないだろうか。

コメント 売春の問題、性の問題は、文化の接触や衝突の場面ではしばしば問題とされます。複雑な議論が展開されているので、ここに書いていることはほんの入り口だと思ってください。


国の成り立ちがマイナスイメージが強かっただけに、建国の神話が作られにくく、第12章のアンザック神話が影響力をもった部分があるのかな、と思いました。行動と人々が行動を起こす根拠=理念や精神、善悪の基準などが違えば、そこで人々が起こす行動が変わってくる人間や時代を大きく規定してしまうという意味で、その力の大きさや恐ろしさを思いました。

コメント 他の章と比べて考えるのはいい発想の仕方です。


私はやはり女性として、「売春」の項に関心を持った。ヨーロッパ人たちは労働力として、また性欲の捌け口として先住民女性を使ったし、先住民はヨーロッパ人と友好的な関係に入る印として(いわば「貢物」として)女性を差し出した。女性を男性の所有物として扱っていないというのは腹の立つところである。また、流刑囚の15%を占めた女性は「売春婦」であったというが(当時は正式に結婚していない“妻”も売春婦と見なされたそうだが)、「売春婦」のほうに人間的欠陥があって、買った男性のほうは問題にされないのはおかしなことだ。

コメント 性を利用して男性をコントロールしようとした女性もいるから。問題はもっと複雑だね。


近年のSARSの流行で、伝染病の恐ろしさを感じてはいたが、入植が始まった当時の先住民をおそった様々な伝染病のことを考えると恐ろしい。また、女性の被害も甚だしいものだったと感じる。先住民の側からも女性を提供していたということは、彼らの社会でも、女性はそのように扱われてもおかしくはない存在だったのかと思う。アメリカの独立がなければ、オーストラリア大陸はどのような運命をたどったのだろうか。

コメント 伝染病と先住民人口の激減は歴史研究や環境史研究の大きなテーマです。卒論で誰かやらないかと思います。


魅力的な章題とは異なり、入植以降のオーストラリアは、輝かしいものではないことがわかった。まず、囚人の収容先としてのオーストラリア。女性の囚人、また、先住民の女性を強姦、売買することが、当たり前のようにできた場所。そして、不毛の大地というイメージが浮かぶ大陸。しかし、これらは事実であり、現在のオーストラリアの基礎であることは間違いない。ほとんど囚人たちによって構成されたこの大陸が、いかにして現在のように、先進国の仲間入りを果たしペロンなどのいわゆる「人種主義」、人間存在と自然や、自分が属する民族と他民族や、自分と他者や、そういう関係をどう捉えるかの一例だろう。つまり自己と非自己の境界線をどこで区切るかということだと思う。自分と他人、フランス人と非フランス人、ヨーロッパ人と非ヨーロッパ人、白人と白人じゃないやつ、人間と人間じゃない動物、生物と無生物・・・人間ってなにか二項対立を設定しないと安心しない生き物かもしれない。 ているのか、興味がわいてきた。

コメント 今でも世界中で女性や子供が売買され、捕虜が虐待され、囚人労働が搾取されているよ。


オーストラリアが原住民の土地からヨーロッパ人の土地として侵食され始めたその過程は、イギリスの流刑地としてという目的があったことはよく知られていることであるが、その際の原住民への残虐な対応、または植民地で問題になった性意識の乱れには目を覆いたくなるものがある。しかし、現代オーストラリアのアイデンティティの出発点としても重要な契機となった過程でもあるのは確かである。

コメント エスニック文化というのも2項対立のひとつかもしれないね。支配文化とエスニック文化、エスニックな文化も、支配文化も純粋な文化じゃないのに、文化を独立したものと考えるのもおかしいことだね。


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