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平田 由美 教授 《日本学専修》

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ひらた ゆみ
1956年生まれ。大阪外国語大学、同大学院で学んだ後、京都大学人文科学研究所助手、大阪外国語大学助教授・教授を経て、大阪大学文学研 究科教授。文学博士(京都大学)。専門は近代日本文学・文化研究、ジェンダー・スタディーズ。著書に『女性表現の明治史―樋口一葉以前』(岩波書店、1999年)等。また、編著書に『明治中期読売新聞文芸関係記事目録』(京都大学人文科学研究所、1989年)、『「帰郷」の物語/「移動」の語り―戦後日本におけるポストコロニアルの想像力』(伊豫谷登士翁との共編、平凡社  2014 年)等がある。


聞き手・構成=森岡優一(英米文学・英語学専修3年)、大前友香(英米文学・英語学専修3年)、山﨑 愛(日本学専修3年)

社会の問題を研究する

大前 : 先生の研究してらっしゃること、また先生が一番興味を抱いて調べようと思われていることはなんですか?

「今」の問題ですね。自分が生きているこの状況を考えたい。自分に引きつけた研究は、明治時代の物を書く女性たちから始まって、この何年かは在日朝鮮人作家など、主流社会の中でいわれのない差別や不利益をこうむっている人たちによって書かれたものを読んできました。
大学院を出て最初に就職した研究所が明治文化の共同研究をしている最中で、新聞や雑誌をかたっぱしから読みはじめたんです。とくにこれを調べようとかいう目的もなく、マイクロフィルムや紙面を通して明治を歩きながら10年近くを過ごしました。明治の10年代~20年代っていうのは、文学史的な知識では、樋口一葉が唯一の女性作家のように見えるんだけど、実際に古新聞・古雑誌をめくっていると、たくさんの女性の名前を筆者名にもつ書き物に出会うのね。それらはほとんど読まれないまま埋もれていた。作家として知られているわけでもない、まったく無名の女性たちが書いたもので、一葉の作品と比べて見れば、もちろんつまらなかったりするんだけれど、それだったらそう論じればいい。けれど、それらはずっと「ない」ことにされてきた。女性によって書かれたテクストに対するこういう扱いを「テクスチュアル・ハラスメント」と呼んで研究している人がいるぐらいです。それは男性中心主義的な社会の在り方と完全に結びついているわけで、セクハラとテクハラは同じメカニズムで起きているということですね。

大前 : ジェンダーについてお話していただきましたが、在日朝鮮人の方についても日常の中で問題意識を持つことはありましたか?

きっかけは、30歳を過ぎて初めて、おじいちゃんが朝鮮人だったことを知ったっていう人が身近にいたこと。小説家の鷺沢萠とまったく同じケースなんだけど、彼女とは違って、韓国に留学することもなく、そのことを深く考えるふうにも見えなかった。いったい、その違いって何だろうというのが出発点で、自分を朝鮮人としてアイデンティファイするかどうかは、選択の問題じゃないのかということでした。鷺沢はエッセイの中で、相手が私のことを誰であるかと決めつけるのは勝手だけれど、そのことで自分自身のアイデンティティが左右されることはないということを語っています。「日本人」という集団的なアイデンティティがこれほど強くて、「みんなといっしょ」を押しつけられる社会の中で、こういうスタンスの取り方はものすごく大切なんですね。マイノリティが生きづらいと感じる社会っていうのは、マジョリティにとってもいい社会とはいえない。世の中の半分を占める女性が居心地が悪いって感じているのに、どうして残りの半分は平気なんだろうか。

大前 : ニュースで朝鮮人排斥デモとかをやっているのを見て、そういう人もいるのか、と思ったんですけど、それに対してはどうですか。

「在日朝鮮人」と呼ばれる人たちがなぜ日本に何十万人もいるのかという歴史も考えないでヘイト・スピーチやってるわけでしょ。日本社会でも、みんながみんな日本人アイデンティティを持ってるとは限らない。「朝鮮人は出て行けー」と叫んでる人たちは、どういう根拠で自分が日本人だと確信してるんだろうって思う。ご先祖さまに朝鮮人や琉球人やアイヌ人がいたかもしれない、そういうふうに自分を眺めてみる想像力がなさ過ぎると思う。

大前 : 日本人って仲間意識が強いんですかね。

仲間意識っていうか、異質なものに対する恐怖というのか・・・。もちろん、そういう恐れの感情はどんな人にもありますよ。けれど、それが排外主義や相手の抹殺にまで結びつくというのは、個人の問題というより、集団の中で起きる社会的な出来事なのだから、社会として解決しないといけない問題ですよね。

山﨑 : 自分で自分のアイデンティティを決められるのは強い人だと思うんです。みんなが自分で自分を決められればいいんじゃないかなと思うんですけど…。

仲間意識って、仲間外しと一体になってて、自分たちと違うというレッテルを相手に貼って排除したり、同じだっていうレッテルで仲間にする。そんなレッテル、嫌でしょ?
「嫌われる権利」があることを知ってほしい。みんな、「人に好かれなくっちゃ」って思ってるでしょう。それやと疲れへん?「嫌われる権利」を主張すると、かなり気持ちが楽になる。みんなに好かれる必要はない、嫌われてもいいって思えないから辛いことになるんじゃないかな。

大学で学ぶということ

大前 : 高校と大学の違いは何ですか。

新入生を歓迎するとき、「高校までは動物園、大学はジャングル」というフレーズをよく使います。それまでは口を開けて上を向いてたらエサが入ってきたでしょ?よく噛める子と、あんまり噛めなくて下痢しちゃう子っていうのはいるかもしれないけど、とりあえず食べ物はもらえた。でも、大学という“知のジャングル” では、自分でエサを取りにいかないといけない。狩りの能力を身につけないと獲物は取れないし、狙った獲物に合わせて道具も作らないといけない。先生は「そんなヤリじゃ突けないよ」っていうアドバイスはくれますが、狩りに出かけるのはほかでもない自分、ということですね。

森岡 : どんな学生に来てほしいですか?

「こういう人に来てほしい」というのはないです。いろんな力を身につけて大学を巣立ってほしいというのはありますけど。入学試験をなくして、誰でもとりあえず入れるようにすればって思うんだけど、どうかな?学問以外のことでも何でも、学生時代に何を学び取ってどんな力がついたかで卒業判定をする。大学を出るときに、そこに入った意味や価値があったかどうかが分かるっていうのがいいと思います。

大前 : 海外にはよく行かれるんですか?

日本研究も日本だけで完結する時代じゃなくて、これまで進めてきた共同研究にもアメリカ、韓国、オーストラリアから研究者が参加していますから、行く機会は多いですね。たくさんの専修の先生方がいろいろなところに出かけておられますよ。人文系の研究において語学はとても重要で、文学部にもさまざまな言語を学ぶチャンスとシステムがあります。勉強するなら、たっぷり時間のある大学時代。いくら汲んでもザルのように抜け出てしまう私なんかと違って、みんなが今学んでいることは、ほんとうに一生モノになるはずです。

『大阪大学文学部紹介2014-2015』からの抜粋。聞き手の学年は取材(2013年10月)当時。