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岡田 禎之 教授《英米文学・英語学専修》


おかだ・さだゆき
1965年生。大阪大学大学院文学研究科博士課程(英語学専攻)中途退学。文学博士(大阪大学、2001年)。大阪大学助手、岡山大学講師、 金沢大学助教授、神戸市外国語大学助教授、大阪大学大学院文学研究科准教授を経て、2010年4月より現職。共訳として『認知意味論』、共著に『英語学用語辞典』『英語多義ネットワーク辞典』など。


聞き手・構成=中井勇人(東洋史学専修3年)、穴吹美緒(日本学専修2年)
写真=近松由望(ちかまつ・ゆみ)

英語学に進んだ理由

穴吹:なぜ英語学の道に?

最初は英語学の道に進もうとは思っていませんでした。私はもともと文学をやりたかった人間で、英文学を志していました。ところが「あかん、散文は読めるけど詩は読めない」ということに気づいて、「無理かも」って思ったんです。そういうときに、当時の英語学の成田義光先生と河上誓作先生に出会って、英語学ならできるかも、と思ったんですよ。それで3年生になってから、英語学に転向しました。もともと英語の文法や英語の使い方に興味があって、なぜこの言い方はできないんだろう、なぜこんな不自然なルールがあるんだろう、って思っていました。

研究における関心について

文法を単なる無味乾燥なルールにしてしまうと、全然面白くない。そういうルールを教えられなくても、普通に文章を使えるじゃないですか。私たちは人間の物の見方や考え方にあわせて、合理的に文章を作って話しているんですよね。非合理的に文を作っているのではなく、自分が見たままの世界を、そのままの言葉で口に出しているだけなんです。

中井:意味や状況によって表現が変わってくるということですか?

そうです。だって例えば日本人は、日本語の微妙な違いで意味が違ってくるということを知っているでしょう。ちょっと表現を変えるだけで、全然違うものになる。それは日本語だけじゃなくて、どの言語でもそうなる。英語もそうです。

弓道との出会い

穴吹:学生時代はどのように?

私は、学生の頃は全然勉強せず、弓道のために大学に来ているようなものでした。大学の授業も道着を着たまま出て、そのまま道場に行って。体が弱くて、それで体力をつけたいと思って、弓道にしました。限りなく文化系に近い体育会系、「うん、弓道だ」と思って。それで始めたんですけど、すごく楽しかったですよ。

中井:精神の集中力が高まりそうですね。

極めると、そうだと思います。でも、学生弓道ではそこまでいきません。弓道って、失敗したと思っても、的に当たるときがあるんです。うまくバランスがとれて、タイミングを体が覚えているんですね。でも油断すると、必ず形が崩れる。同じようにやっているつもりなのに、最終的には全く当たらなくなる。そうなると他の人に見てもらって、おかしいところを直してもらいます。すると、また調子が良くなる。でもそこで慢心するとまた徐々に当たらなくなる。その繰り返しですね。波があるんです。そういう波がなくなっていくのが、名人なんです。我々のレベルはそこまでいってないんですよ。学生だと、どうしても試合に勝たないといけない、みたいなのがあります。で、そうやって一生懸命当てよう、当てようと小細工をすると、見事に外れる。そういうときは反省しますね。当てることばかり考えて、的にバカにされたんだなと。

中井:人生に通じるものがありますね。

あるよね。弓道なんて、矢の当てものでしかないけど、それでもすごく考えさせられる。そういう競技の経験をしていたことは、よかったと思います。

穴吹:軸を持つということですか?

そうですね。心がちゃんとできていれば、うまくいく。そうじゃないときは外れる。何をやってもそうだと思います。バスケットでも、バレーボールでも。

研究にも通じること

何事でも平常心を保つのはすごく難しい。研究でも同じですが、私が一つ思うのは、発表する前に事実関係を押さえていれば、そこまで緊張しなくてもすむということです。もちろん、発表はすごく緊張しますよ。だけどデータセットについて、自分で自信を持てるものがあれば、ある程度落ち着いて話すことができる。なぜなら、そのデータセットの部分に関しては、絶対に崩されることがない、という自信があるからです。だけど、他人のセカンドハンドのデータだけで勝負しようとするのは、すごく不安だと思います。なぜなら、その理論が成り立たないことを指摘されたとき、返す言葉が自分の中にないからです。それってすごく不安ですよね。私は発表がすごく嫌いなんですけど、この部分に関しては崩れることはないはずだ、という自信があれば、とりあえず発表はできます。

中井:では研究の道に進まれたのも、自分の目で確かめたいという思いがあったからですか?

すごくありますね。そうでないと怖くて話せないです。他の人が言っていることについて、「本当か」といつも思っているんでしょうね。自分で検証して、正しいとわかれば自信を持って言うことができる。そうでないと人に話をするときに、すごく自分は揺らぐだろうなあ、と思います。そうならないためには、結局自分で検証するしかない。仮に自分の検証が間違っていたとしても、指摘されたときに、「そうか、調べが足りなかったんだな」と、「ごめんね、言ってくれてありがとう」と諦めもつきやすいというか。他人の意見に基づいて話すと、それがおかしかったとき、他者に責任転嫁することができてしまう。でも、それってほんとはやってはいけないことじゃないですか。自分で調べたことであれば、仮に間違えたとしても、自己責任で終わります。
みなさんの卒論の中間発表でもそうだと思いますけどね。怖くて恥ずかしいかもしれませんが、ここは崩れないはずだ、と思えるものがあるのと無いのとでは、全然違いますよ。もちろん、自分で調べるためにインタビューに行ってデータを探しても、そんなに簡単に新事実を発見することはできません。今でもそうです。いつも泣きながらやっています。

学生に向けて

中井:今後の学生へのメッセージをお願いします。

難しいなあ。誇れるような学生生活を送ってないから(笑)。クラブとか勉強とか、人によって楽しめることは違うと思います。だから、それぞれの人が自分の一番やりたいことをやるしかないと思います。大学というのはもともと自由なところだから、あれやりなさい、これやりなさいと誰かが言うわけではない。自己責任の世界ですからね。で、自己責任というのは自由がたくさんあるわけですから、早い段階で自分でやりたいことを見つけられればすごく幸せですよね。
あと、みなさんは基本的に研究をするために大学に来るわけですよね。最初から課題を与えられている高校とは違います。研究というのは自分の頭の中をさらけ出すわけですから、すごく怖いことなんですけど、それは特権でもあるんです。卒業論文を書くことは、すごく重要なことだと思います。論文を書くという経験をしてほしい。論文を書くということは自分の頭の中を他の人に追体験してもらえるということなんですね。頭の中にあるものをそのままにしておくだけでは、なんにもならない。
でも例えば論文を書いたり、発表したりすると、こんなおじさんが考えていることを、それに興味を持っているたくさんの人に追体験してもらえるわけです。論文を書くというのはそういうことだし、大学生というのはそういう権利を与えられている。それは恥ずかしいことであるけれども、貴重で大切なことでもあるんです。大学生や大学院生のような、一時的であっても研究に携わる人に与えられた特権なんです。それを活かしてください。書かないといけないから、と仕方なくやるのか、それともそういう気持ちを持ってのぞむのか。それによって全然違ってくると思います。


『大阪大学文学部紹介2013-2014』からの抜粋。聞き手の学年は取材(2012年10月)当時。