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高橋 文治 教授 《中国文学専修》

高橋文治教授たかはし・ぶんじ
1982年、京都大学大学院文学研究科博士課程指導認定退学。文学修士(京都大学 1979年)。追手門学院大学講師、同助教授、同教授を経て、2000年10月現職。おもな著書に『中国文学のチチェローネ―中国古典歌曲の世界―』(汲古書院)、『烏臺筆補の研究』(共著/汲古書院)他。1989年、第8回東方学会賞受賞。

 

聞き手・構成=久保有多果(中国文学専修3年)/島三希子(中国文学専修3年)/田中英太郎(比較文学専修3年)

中国文学との出会い

先生が研究職に就かれたきっかけは何だったのですか?

高橋 普通に社会に出て普通に仕事しようとは思ってなかった。僕らの時代は、まだ教養主義的な考え方が残っていたんだよね。教養や知識が人生の役に立つっていう考え方があって、それらを身に付けていくこと以外は考えなかった。
文学部に行ったのはね、高校の時の化学の先生が、補習の時間に「ここで補習を受けるということは、みんなが受験で化学を選択するということだと考えています。」って挨拶されたんだけど、それ聞いたときに、なんだかすっごく冷めちゃってね。そんなために僕は来たんじゃないって(笑)。
それでその補習を受ける気を無くしたと同時に、そういうことを言わない先生が好きになって、それがたまたま国語の先生だった。文学部に来たのは、それがひとつのきっかけではあるけど一番大きな理由ではない。まぁ一種の偶然が重なったんだね。

久保 では、中国文学をされようと思ったきっかけは何だったのですか?

高橋 それがね、自分でもよくわからない。けれど、高校時代に一度興味を持ったことがある。さっき言った国語の先生がね、自作の短歌だとかを教室で紹介したりするんだ。だから僕も作ってみようと思って、短歌や英語の詩を作ってみた。それで漢詩が出てきたから漢詩を作ってみようと思ったんだけど、これは文法的に正しいのかどうか全然分からなくって、やっぱり中国語から勉強しないと漢詩は作れないなぁと思ったことがあった。そのことは確かにずっと記憶に残っていたけど、大学に入って特に中国文学をやろうとは思っていなかった。

田中 具体的な作品からではないのですか?

高橋 うん、具体的な作品からでは全然ない。

これからの夢

高橋 僕はね、実は「中国文学」をやっているって思ったことはあんまり無い。「中国学」をやっているって思っている。

田中 文化全体を扱っているということですか?

高橋 そうじゃなくてね、「中国文学」じゃ名称がふさわしくない。今の大学の中で文学は「地域研究」の一つで、例えばフランス文学、ドイツ文学、イタリア文学と様々な文学があって、その一つとして中国文学がある。だけれど「中国学」って名称は、特定の狭い地域の文学研究というよりは、「アジア全域の古典学」っていう感じかな?中国の文化はヨーロッパにおけるギリシャやローマの文化みたいに、その様々な古典作品が他のアジアの地域の位置を決定付けるものとしてずっと重要視されてきた。日本人の場合、それを漢文として勉強したし、朝鮮でも、東南アジアや中央アジアでもそうだった。だから中国の文学を研究することは、同時にアジア全域の古典を研究していることになるわけ。
それからもう一つ、中国の歴史書の中に『三國志』があり、その中に「魏志倭人伝」があるように、中国の古典は中国のことだけを書いているのではない。それがもしなかったら、中央アジアにしても東南アジアにしてもほとんど歴史が分からない。だから中国語で書かれたものは情報源としてものすごく大きな意味を持っている。例えば日本は英語でジャパンというけど、ジャパンというのは中国語が起源になっている。ベトナムというのも中国語が起源。それからコーリアっていうのもそう。要するに、いわゆる「漢字文化圏」というのがあって、世界のあらゆることを考えていく上で、中国の古典が持っている意味の大きさというのがある。僕らはその意味の大きさを解きほぐしていく。それから中国語で書かれた文献がどういう特徴をもち、どういう偏差をもつか考える。こういうことを言うと「中華思想だ」って嫌われるけど。
そうして嫌われてしまったため、今の中国文学は古典学とそれから地域研究の両方の価値を失いつつあるって意見まで出てる。つまり古典学としては皆から嫌われて「お前あっちいけ」って言われるし、じゃあ地域研究として成立しているかって話になると、なかなかその小さな枠の中に中国が収まらない。で、結局両方でうまくいってない今の中国文学研究があるわけ。それをうまく建て直して、古典学としての中国研究をもう一度人々に愛されるものにしていきたいっていうのが僕の夢の一つ。

田中 壮大ですね~!

高橋 そう、壮大なんだね(笑)。

中国文学を志す人へ

田中 先生はどういう人に、中国文学研究室に来て欲しいですか?

高橋 どんな人でもいいと思う。僕が高校生や文学部生のみなさんに一番伝えたいのは、知識を得ることを雑学みたいなものと考えずに、人間や社会を決定づける基礎だと考えて欲しい。何らかの形で知的興奮を感じてほしい、ということ。それがクセになるというか、それを軸にして、いろんな思考を展開してほしい。それは中国学だけでなく、学問全部がそう。
僕は、文学部でやっていることはみなさんが思っている以上に重要で楽しいことだと思う。その中で、中国文学も負けず劣らず、その知的興奮をみなさんに提供できます。これが言いたい。

研究調査の醍醐味

研究調査のために中国へ足を運ばれることも多いと思いますが、その中で印象に残っている町はありますか?

高橋 沢山ある。僕は山西省ってとこが好きでね、日本で言うと滋賀県みたいなところ。滋賀県の特徴は、琵琶湖の水運を利用して交通の要衝であった点。

田中 安土城も建ちましたしね。

高橋 そう。だから当時は非常に栄えた。だけどその後、鉄道ができて、交通の要衝としての意味を次第に失ってしまう。だからこそ盛んだった頃に建てられた様々なものが文化財としてたくさん残っている。山西省がまさにそう。都が長安や開封にあった時、あそこは重要な交通ルートだった。それで、現存する中国の文化財の8割は山西省にあるんだけど、それは取り残されたから。他の地域は発展していくに従ってみんな取り壊されて新しいものが建ったんだけど、あそこは取り残された。だから、今はひどい田舎。中国で一番貧しい地域になってしまったけれど、文化財がいっぱいあって僕はその山西省を端から端まで見て回った。僕ほど、中国のそういう文化財を見ている人間は世界でも少ないと自負している。

久保 その中で特に印象を受けたものは?

高橋 それはね、永楽宮っていう…。(本棚から大きな本を取り出す)

田中 壁画ですか?

高橋 うん。永楽宮というのは、元朝期に建てられた道教寺院なのだけど、そこにあるあらゆる建物の壁という壁に壁画が描かれている。実に素晴らしいよ。単に芸術的に優れているだけでなくって、文化史的に文学とも関わるもう様々な意味を持っている。これ、恐らく絵解き(※絵の解説をすること)をしたんよ。絵解きは、講談とかにも発展する。

田中 先生はこの壁画の前で、知的興奮を感じられましたか?

高橋 えぇ、もう…大変興奮しました(笑)。さっきの話の続きで言うとね、この壁画は世界と繋がっているんだよ。こういう芸能っていうのは、恐らく中央アジアから中国に入ってきた。で、日本にも入ってきた。

田中 お寺の?

高橋 そう、絵解きだとか。滋賀県に行くとね、湖東三山のどこだったか、これに良く似た壁画があって、やっぱりこういうふうに絵解き文が付いている。なんでもない絵が、世界と繋がっている動かぬ証拠なんだよ。だからこういうものを軸にして、中国の持った意味だとかをもういっぺん改めて、位置づけ直したいなぁと思っている。

日本の中国文学研究の評価

久保 日本の中国文学研究は、中国本土ではどのような評価を受けているのですか?

高橋 中国文学に特化して言えば、日本はやっぱり自国の文化である中国本国に敵わない部分がある。ただし、さっき言った古典学としての中国学を考えた場合には、僕は、日本は世界のトップクラスだと思う。文学のみならず、様々な歴史や哲学も含めて。それは単に僕たちがそう思っているだけではなくて、世界中がある程度認めてくれている。

最後にメッセージをお願いします!

高橋 さっきも言ったけど、文学部は、みんなが考えてるよりずっと知的興奮に溢れたおもしろいところだ、ということ。それから、中国の古典学は中国だけの学問ではない、ということです。

島&久保&田中 本日はどうもありがとうございました!!

『大阪大学文学部紹介2010-2011』からの抜粋。聞き手の学年は取材(2009年10月)当時。