オマケ―白人性研究のガイド―

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白人性研究に関して出版される書物や論文の数は、海外では毎年ガッツリ増えています。オバマさんの登場によって刺激を受けた人種関係の本も多いのですが、その質は玉石混淆です。また、かなりキワモノ(マークをすると)と思われる本や記事の類もすぐ周辺にあり、そういう本が大学の図書館にけっこう入っていると(研究対象にしている人もいるかもしれませんが)、少し引いてしまいます。海外でホワイトネスという言葉が学問の世界で流行してから、特定の研究分野の延長としか思われないような研究にも、ホワイトネスという名称がついている場合も多く、本を買って騙された気分になることもあります。「白豪主義は白人優越意識という白人性に基づいていた」と言われても、それはそうでしょうとしか言いようが…。幸運なことに?日本では、白人性(ホワイトネス)が社会的な認知を得ていないので、そういうことはありません。ホワイトネスという言葉は、研究会や学会、一部の研究者が使っていますが、そうした視点で書かれた研究は、いまだにほんの少しです。このギャップは?

忘れてはならないことですが、白人性研究は、女性や非白人が支配的になりつつあるカルチュラル・スタディーズ関連の領域で、白人男性研究者が活躍する場を提供している側面もあります。白人男性研究者にとって、正当性を問われることなく関与できる、(ラディカルが好きな研究者にとって)唯一の先端的研究領域(マークしてます)であることが、白人研究の急速な拡大を支えているようにも思われます。しかし、はやっているから、ここはひとまずホワイトネスと付けておこうというスケベ根性のほうが、優っているようです。また、白人性研究は、白人を中心とする世界観を無意識に強め、新保守主義やホワイト・トラッシュに関連する白人アイデンティティの再構築の手助けとなる可能性もあると指摘されています。ポストモダンな世界における極右と極左の接近(差異の消滅)が、ここで起こるとしても不思議ではありません。先ほどキワモノの話をしましたが、日本人にとっても、これはパンドラの箱かもしれません。

さて正気に戻って、最初に、数少ない日本語の理論的な側面に関する文献と、英語の教科書的なアンソロジーを紹介します。これに続けて、いくつかの領域に分けて、白人性研究にとっての、基本的な文献を紹介したいと思います。最近は、白人性研究の氾濫状況になっているので、怠惰なうえに、読むのが遅いぼくにとっては、ここ5年ほどの研究をほとんど消化できていませんので(食べたくないのが本音)、覚悟をオシ。

日本でもっとも白人性を包括的に扱った文献は、手前味噌になりますが、藤川隆男編『白人とは何か?ホワイトネス・スタディーズ入門』(刀水書房、2005)です。ヤホーで、「ホワイトネス」や「白人性」とググって?もらったらすぐ出てきます。この本を読んでいただくのにも参考になりますので、ぜひご購入を(あからさますぎるサブリミナル、刀水書房の陰謀です)。その第8章を書いた山田史郎さんは、日本で白人性研究の意義に早くから気づいた人で、手ごろな文献としては、『アメリカ史のなかの人種――世界史リブレット91』(山川出版社、2006年)が一番だと思います。人種を通じたアメリカ史の通史がわかります。カナダ史のほうでは、ぼくと同じ年齢の細川道久さん(同期の桜か?)が白人性の問題をさらに追及されており、「19世紀後半のカナダ社会における「先住民」と「白人」の境界――インディアン政策を手がかりに」『西洋史学論集』45号:2007年、79−94はその成果の一つです(松山先生や関根先生、先生の名前をあげなくてもいいんやろうか)。第4章と第5章は研究史風に書かれていますので、白人性について調べるときには必ず参照してください。

ところで近くに大学図書館がある人は、次の文献にまずあたるといいでしょう。デイヴィッド・W・ストウ(坂下史子訳)「アメリカ研究における白人性の諸問題」『同志社アメリカ研究』36:2000年、33-44は、アメリカを中心として展開されている白人性研究への手軽な導入になると思います。とりわけ、論文の前半では、アメリカにおける歴史学の流れに沿った研究史がうまくまとめられています。また、白人支配を批判する雑誌『人種の裏切り者』Race Traitorに関する解説も参考になります。

フェミニズム批判から生じた白人性研究の始まりを見るには、ベル・フックス(楠瀬佳子訳)「白人至上主義を克服する闘い」『現代思想』Vol.19-9:1991年、140-146をざっと読めばいいと思います。論理的な部分の訳に少し難点があるので(読みにくいよ。少しくらい理解できなくても元気を出そう)、ざっと読み通して、フックスが感じた第二波フェミニズムの内包する白人至上主義とその社会的な広がりを理解するといいでしょう。

ジョージ・J・サンチェス(村田勝幸訳)「ネイションの相貌」『思想』No.931:2001年、33-57は、近年のアメリカにおける複雑な人種主義の状況とネイティヴィズムのかかわりを解説しており、白人性とナショナリズムの関連を考える上では重要な文献でしょう。本書ではほとんど扱わなかったラティーノやアジア系の人々など、白人と黒人の対立として描かれる人種主義的分析からはみだす人々の取り扱いが問題となることが理解できるでしょう。引用されているオーミとワイナントの人種(主義)定義は、白人性研究では典型的なものですが、いまいちピンとこないのは何故でしょうか(そんなこと口が裂けても)。南川文里『「日系アメリカ人」の歴史社会学』(彩流社、2007年)22−27頁もあわせてお読みください。村田勝幸さんは『〈アメリカ人〉の境界とラティーノ・エスニシティ「非合法移民問題」の社会文化史』(東京大学出版会、2007年)という本も出しています。図書館でお読みください(ちょっと値が張ります)。ナンシー・フレイザー(挽地康彦訳)「もうひとつのプラグマティズム――アラン・ロック、批判的「人種」理論、文化の政治学」『思想』No.931:2001年、59−78も読んでみてもいいかもしれません。

デイヴィッド・R・ローディガー著(小原豊志、竹中興慈、井川眞砂、落合明子訳)『アメリカにおける白人意識の構築──労働者階級の形成と人種』(明石書店、2006年)は、白人性研究の古典の一つです。多くの研究者が言及している本で、日本語に翻訳され読みやすくなりました。アイルランド系移民が、単なる労働者としてではなく、白人労働者としてアメリカ合衆国に同化していく過程を描いた研究です。その後、この研究に対してはフェミニズムの側からの批判などもあり(白人労働者ではなくて、白人男性労働者のことを書いているのにその意識がローディガーに希薄)、そうした批判に対するローディガーの応答が翻訳に付加されており、ぼくはおもしろいと思いました。貴堂嘉之「ホワイトネス研究の方法と国民国家論−ネイションの記憶・人種の表象」森村敏己編『視覚表象と集合的記憶−歴史・現在・戦争−』(旬報社、2006年)も読んでみてください。

川島 正樹編『アメリカニズムと「人種」』(名古屋大学出版会、2005年)は、個人的に2冊持っているのですが(もらいものです)、うちの学生たちがよく借りていくので、誰に貸したかわからなくなっています(借りた本は早く返せよ)。そのなかで、古矢旬さんが多文化主義を「個別、特殊な帰属集団のアイデンティティを優先する」(42頁)と高く評価しているのは、定義にもよりますが、多文化主義をナショナリズムの一形態としか考えないぼくとの違いでしょうか。この本には、ぼくの同僚の中野耕太郎さんも、「新移民とホワイトネス」という章を寄稿しています。中野さんは『西洋史学』第224号:2007、84−86に、ぼくの『白人とは何か?』の「どこがあかんのか」を書いてはりますので、参照してください。忘れたらアカン松本悠子さん。学部生のころ、京大に出かけて行って、中国人移民制限のオーストラリアとアメリカの比較をしたいという相談に乗ってもらった方です。オーストラリアに集中するようにというもっともなアドヴァイスをいただきました(聞けへんかったけど)。川島さん編の本では、人種混淆を扱っています(268−273頁)。また、祇園祭以来の知り合いの小澤英二さんは、アメリカに関して「スポーツにおける「人種」」という章を書いていますが、最近はオーストラリアのスポーツと白人性にも領域を広げて、オーストラリアへの侵略か?(『西洋史学』第231号:2008、49−53)

アメリカ以外における白人性研究の主な舞台は植民地です。その分析の対象は、具体的な状況よりもテクストであり、ポストモダニスト的、観念論的(死語かもしれないが、マークされた言葉です)傾向が強いように思います。ぼくが興味を抱いた二つの論考をここではあげておきます。ダイアナ・ファス(大池真知子訳)「内側の植民地」『思想』No.888:1998年、69-101は、フランツ・ファノンの白人性(種)の精神分析学を扱い、それをセクシャリティの観点から批判的に検討しています。人種、ジェンダー、セクシャリティが交錯する理論的背景がシルエットを通して見えるでしょう(見えないかもしれません。ポストがつくと「難しく書かんとアカンというルールでもあるんとちゃうか」と思うのはぼくだけでしょうか。単なる曇りガラスか)。次の文献はデリダが正面から登場してきてちょっと、いやかなり読みにくい(読み応えがあると言わないと)ものですが、個人的には気に入っています。港道隆「差し出された鏡」『現代思想』Vol.19 2及び3:1991年は、デリダによるネルソン・マンデラの分析をさらに分析することによって、西洋の世界と差異の問題、白人性という言葉はありませんが、マンデラの白人性について検討を加えています。

粟屋利江「白人女性の責務」『歴史評論』No.612:2001年、63-77は、イギリス支配下のインドにおける白人女性に関する研究史を概観したもので、植民地で活躍した白人女性の白人性が、どのような形で問題化されているかを示す多くの例を見ることができます(粟屋さんも書くことが難しいですよ。会話も同じくかなりムズイです)。ガサン・ハージ(保苅実・塩原良和訳)『ホワイト・ネイション』(平凡社、2003年)は、白人性研究を前面に掲げた数少ない邦語文献です。オーストラリアの最近の人種差別的な政策や言説が、人種主義ではなく、白人ナショナリズムに基づく空間支配だと論じたものです。その問題点は、移民に焦点があまりにも絞られているので、多くの場合、「反移民ナショナリズムの真の原因は、ナショナリズムの空間支配だ」という同語反復に近い印象を受けるところです。先住民、ジェンダー、歴史的背景、ナショナリズムの媒体となるメディアや公的空間など、脱落しているものが多すぎます。多くの白人性研究に共通する弱さは、多くの社会装置が機能している公的空間をあたかも主観的空間(空間って入れちゃいました。)の延長であるかのように扱うところだと思います。社会を個人の精神のように扱う、それはアニメの主人公の心が世界行く末を左右するストーリーと何故か似ている。私たちの時代の大きな物語かもしれません。最近、ガッサン・ハージ著(塩原良和訳)『希望の分配メカニズム――パラノイア・ナショナリズム批判』(御茶の水書房、2008年)という本が出ています。ただし、新しい本のほうがおもしろいとは限りません(ぼくの本も同じか?)。

人種については、竹沢泰子さんの(さんと呼んでいますが会ったこともありませんので、気楽に批判できます)、竹沢泰子編『人種概念の普遍性を問う』(人文書院、2005年)があります。ぼくは「人種概念を洗いなおす」という試み、とりわけ「人種概念の内在的特性」という言葉にかなりひっかかりますが、世界各地の人種について、いろいろなことがわかるので、お読みください(図書館に行ってください)。その中で黒川みどり「人種主義と部落差別」は思い切った立論だと思います。しかし、近代部落問題を人種という視点でとらえるのは、凄いけど、危ういようにも思います。田辺明生「近代人種主義の二つの系譜とその交錯」は、啓蒙主義とロマン主義という思想の二大潮流と人種主義の関係を軸に議論を展開しています。ロマン主義をどうするか、ぼくも考えておいたほうがよかったかな。しかし、観念論的すぎるんじゃないか(死語か?)。さらに、著者の一人の研究に、坂元ひろ子『中国民族主義の神話 ― 人種・身体・ジェンダー』(岩波書店、2004年)があります。中国ブームですもんね。家内の国籍は日本人、エスニシティは中国人でしょうけど、家内が中国人というときは絶対に自分は入っていませんよ。「最近、香港、中国人たくさんいるわ」って言いますもん。昔から著書などいただいている井野瀬久美惠も著者の一人ですが、井野瀬さんは、大英帝国における白人女性の問題に先進的に取り組んでいます。『植民地経験のゆくえ―アリス・グリーンのサロンと世紀転換期の大英帝国』(人文書院、2004)を図書館で探してみてください。

これも少し言いにくいのですが、ぼくが監訳したジョン・トーピー『パスポートの誕生』(法政大学出版局、2008年)を読んでいただくと、パスポート制度の発達がアデンティティの確認や政治システムの展開に持った意味の大きさが理解してもらえると思います。こうした技術的・制度的な側面を抜きにしては、人種の意味は語れないでしょう。これは買ってください。

次にこの分野の広がりを知る上で手ごろだと思われるアンソロジーをいくつか紹介しましょう。R. Delgado & J. Stefancic ed., Critical White Studies, Temple University Press, 1997は、この分野の研究者の多くを網羅しており、白人性研究の1990年代までの状況を知るには好都合です。また、各章のあとに記載された文献は参考になります。Mike Hill ed., Whiteness: A Critical Reader, New York University Press, 1997も同種の書物ですが、その量は半分以下です。イントロダクションを読むと、ぼくのように「わけわからん」と思う人もいるかもしれませんが、気が向いた人は読み進めてほしいと思います。Michelle Fine et al. ed., Off White, Routledge, 1997 は、心理学と教育学の論考を集めたもので、導入部ははるかに読みやすく書かれています。批判的人種理論からは、この分野の多くの研究が理論的な影響を受けています。4巻からなるE.N. Gates ed., Critical Race Theory 4 vols, Garland Publishing, 1997は、最も包括的な論文集であり、白人性研究を理解するには、最小限知るべき知識だと思いますが、ぼくも全部は読んでいません。

最後に個別分野を代表するもので、ぼくが興味を抱いたいくつかの研究をあげてみます。英語の文献ですが、興味のある人は手がかりにしてください。歴史学の白人研究では、すでに邦訳を紹介したDavid Roediger, The Wages of Whiteness, Verso, 1991があげられます。文学の研究者エリック・ロットは、Eric Lott, Love & Theft, OUP, 1993において、白人が黒人を演じたミンストレル・ショウに、黒人性を通して表現される白人労働者階級の姿を見ました。また、アレクサンダー・サクストンは、Alexander Saxton, The Rise and Fall of the White Republic, Verso, 1990で、太平洋岸における反中国人運動を通じた白人労働者階級の形成を描いています。Theodore W. Allen. The Invention of the White Race, Vol.1 and Vol.2, New York: Verso, 1994 and 1997 も古典的な研究ですが、ぼくは個人的には退屈でした(歴史としてはどうでしょう)。彼らの研究は、アメリカの労働者階級の形成にとって、人種が歴史的に不可欠な要素として存在したことを示しました。

こうした白人・男性・労働者を対象としたもの対して、ジェンダー研究や女性史やフェミニズム研究においても、白人性への関心は高まりました。ベル・フックスは、労働者階級の黒人女性としての立場から、アメリカのフェミニズムが白人の中産階級の運動であることを告発しました。フックスは、bell hooks, Ain’t I a Woman, South End Press, 1981において、ジェンダーだけによる政治的立場、研究視角を批判し、女性という普遍主義的な言説が、実は白人・中産階級の立場を体現したものだったことを示したのです。同時に、フックスは、黒人運動の男性中心主義も告発し、支配的な言説の中で歪められた黒人男性像からの脱却を説きました。フックスのBlack Looks: race and representation, NY: Routledge, 1992 も広く海外では学生教育に使われているテキストです。

イギリス人女性研究者、ヴロン・ウェアは、Vron Ware, Beyond the Pale, Verso, 1992で、19世紀の第一波フェミニズムの時代における、ホワイト・フェミニニティ(ややこしいでしょう。フェミニティとは違います。ニニとかぶります)と人種の関連を検証しました。奴隷廃止運動と女性の活動家、帝国主義時代のフェミニズム、フェミニズムとリンチ、黒人男性の問題などを扱い、ウェアは、女性として権利の獲得運動や社会改良運動が、白人の中産階級としてのアイデンティティと不可分であったことを確認したのです。他にも本を出版していますが、2冊目がいいとは限りませんが、(with Les Beck), Out of Whiteness, Chicago: University of Chicago Press, 2002は、アメリカからの視点だけでホワイトネスを語る問題点を指摘しています(そこは激しく同意)。

オーストラリアのフェミニズムに対して、フックスと同じような立場から告発を行ったのが、先住民の研究者アイリーン・モートン=ロビンソンです。モートン=ロビンソンは、Aileen Moreton-Robinson, Talkin’ Up to the White Woman, St. Lucia: University of Queensland Press, 2000で、白人のフェミニストにとって、人種とは非白人に適用される概念であって、白人のフェミニストは、正常なものとして規範化された白人としての自分自身の特権を認識できないと批判しました。彼女が編者になったWhitening Race, Aboriginal Studies Press, 2004, vii-ixには、イギリス、アメリカ、オーストラリアにおける白人性研究の簡単な要約がありますので、参考になるでしょう。

アメリカの研究者のルース・フランケンバーグ(本文によく登場)は、現代の中産階級女性の白人性が、どのような形で構成されているかを、社会学的な立場から検証しようとしました(Ruth Frankenberg, The Social Construction of Whiteness, University of Minnesota Press, 1993)。彼女が編者となったDisplacing Whiteness, Duke University Press, 1997 は、主要な研究者が参集した研究ですので、読まなければならない本です。

これらの研究には、立場や方法の違いがありましたが、共通して中産階級女性の白人性の存在を指摘しています。また、第二波フェミニズムの運動家、研究者たちの見えない白人性、正常化され、規範化された権力的な立場を批判しました。さらに、帝国主義とフェミニズムの共生関係や、現代にもつながる植民地主義との協力関係にも視野を拡大しました。

ところで、白人性研究(ホワイトネス・スタディーズ)は、もう少しやわらかい領域でも盛んです(やわらかいと言ってたら怒られるデ)。文学とか芸術とかの領域です。最近、読んだ(見た)Maurice Berger, White: Whiteness and Race in Contemporary Art, 2004 はわかったような、わからないような。インテリはわかったように語らないといけないでしょうけれど、ぼくの不得意な分野です。さて、デュボイスやジェームズ・ボールドウィンなどは、白人性研究というようなことは言いませんでしたが、今日の白人性の研究者の多くに研究の鍵を与えています。これまで引用した研究者の多くも二人に言及しています。ところで、おそらく初めて白人性を明示的に表象研究の題材とした論考に、リチャード・ダイアーのRichard Dyer, ‘White’, Screen 29, no.4: 1998 があります。ダイアーの論考も海外の大学教育で広く使われてきたものです。短くて、白人研究のエッセンスがつまっています。白人性について語ろうとすれば、絶対に読んでおかなければなりません。

文学に関しては、トーニ・モリソンが代表者としてあげられます(最近オバマさんや経済危機についてテレビでコメントしているのをよく見かけます)。モリソンは、Toni Morrison, Playing in the Dark, Vintage Books, 1993において、アメリカ文学の主要な業績が、アフリカ人とアフリカ系アメリカ人の存在によって、大きな影響を受けてきたことを指摘しています。また、作家の人種に関わりなく、読者は白人であるという暗黙の前提が、文学的な創造力に及ぼした影響の重大性を問題にしました。モリソンは黒人性を詳細に検討し、それによって文学における白人性の本質を明らかにしようとしたのです。つまり、「白人性の発明と発展が、おおまかにアメリカ的と描写されるものの構成に、いかなる役割を果たしてきたかを」探求しようとしました。モリソンの分析は、白人による人種表象の問題にとどまっているという批判があります。この点は、モリソンにとどまらず、多くの白人・白人性研究がかかえる問題でもあります。この点について、フックスは、黒人の空想における白人表象の重要性を説いています。また、ジェーン・デイヴィスは、Jane Davis, The White Image in the Black Mind, Greenwood Press, 2000で、アフリカ系アメリカ人文学における白人イメージを研究し、白人イメージを理念型に分類しています。オリエンタリズムの流行以来、白人による非白人の表象に研究が限定される傾向が強いのは、あまりシャレにはなりません。このほか映像表現の領域でも、人種の研究は進んでいます。人種統合的な番組として名高いスタートレックを研究したダニエル・レナード・ベルナーデイは、Daniel Leonard Bernardi, Star Trek and History, Rutgers University Press, 1998で、製作された多くのシリーズに現れる白人性を丹念に検証しました。

ぼくはオーストラリア・オタクですから、最近のオーストラリアの研究を紹介しておきます。その方向は、アメリカを脱中心化し、グローバルな展開を検討するという最近の研究動向に一致しています。しかし、人種主義思想の盛期を扱うので、デジャヴュ感がいなめませんね。人種主義が支配的だった時代(これにはほとんどの研究者が同意すると思いますが)には、人種思想が世界的に広がっていたということを、ディスコース分析で証明するわけですが、おもしろさには欠けると思います。Warwick Anderson, The Cultivation of Whiteness, Melbourne University Press, 2002 はものすごく注の多い本です。オーストラリアにおける医学や医療と人種主義との関わりを解き明かした本と言ったらいいでしょう。また、つい最近出版されたMarilyn Lake, Henry Reynolds, Drawing the Global Colour Line: White Men's Countries and the International Challenge of Racial Equality , Cambridge University Press, 2008 は、太平洋及びインド洋沿岸諸国における白人の人種的ディスコースの広がりを人種主義の盛期について叙述したものです。2009年度、大学の演習のテキストに使っています。これに関連しては、日本語文献としては拙著「オーストラリアとアメリカにおける中国人移民制限」 『シリーズ世界史への問い 9 世界の構造化』(岩波書店、 1991年)を読んでみてください。おもしろいかもしれません(注でも宣伝していますが)。

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