第2章 ポストコロニアルな八尾市久宝寺

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紹介

さて、ハイブリディティ(異種混淆性)ですが、これは少しも難しい言葉ではありません。幼稚園の子供も実践しています。大阪の幼稚園では、子供たちが「大阪にはうまいもんいっぱいあるんやで、たこ焼きに、餃子、お好み焼き、豚マン」とジェスチャーをつけて、あのOld MacDonald had a farm、 イヤイヤヨーのメロディーつきで歌います。さらに「かに道楽に、食い倒れ、もんじゃ焼き、なんでやねん」(「食い倒れ」なくなっちゃいました)と突っ込むところがよろしい。そこには英語文化と大阪文化の自然な「異種混淆性」が見られます。植民地支配者と対抗文化という、ポストコロニアルな図式にこだわる人は、怒鳴り込んでくるかもしれませんが(来えへん、来えへん)、ハイブリディティはこういうふうにゆるゆるに理解しておいてください。日本文化は純粋なものではなく、基本的にはハイブリッドなものです、てな使い方でいいと思います。習った言葉は使わんと、すぐ墓場行きです。

怒鳴り込まれるのはやっぱりこわいので、少しだけ付け加えておきます(それとこの久宝寺への無茶ぶりはハイブリディティのためのようなものですんで)。複数の文化がある状況で(文化自体をここでは一応問わないことにしておいて)、片方の文化が他方の文化を一方的に吸収・統合するのではなくて、複数の文化の接触によって新しい文化が生まれてくるような状況に用います。よく使われる場面は、植民地支配の状況、たとえば西インド諸島のハイチ(後から出てきます)やジャマイカにおける、宗主国のフランスやイギリスの文化と奴隷として連れてこられたアフリカの人びとの文化に関してや、先進国に移住してきた第三世界からの移民の文化と移民を受け入れた国の文化に関して使われることが多いようです。もっと最近では、グローバル化するビジネスが、各国の文化をつまみ食いして、フュージョンして(ドラゴンボールとはちょっとちゃうよ。最近見かけるレストラン料理は典型的やね。いやいや、ドラゴンボールはもっと高度かな?地球人とサイヤ人がスーパーサイヤ人にと、ややこし、これもおいとこ)、ハイブリッドな新しい文化を生み出すようなときにも使います。


ところで(By the way とはちょっとちがう、日本的な話題の転換です)、河内には被差別部落が多数あります。江戸時代、武士・百姓・町民という身分制秩序からはみ出した人々の多くは、えた(穢多)・非人として身分制秩序のなかで最下層を占める賤民として固定化されるようになっていきます。ただし、えた・非人といっしょくたにして言いますが、そのあり方は地域によって差がみられました。一般的に、えたの身分は世襲され、非人は一代限りであるという点で、両者は異なっていたともいわれます。しかし、罪などを犯して非人となった人びとには足洗いの可能性はありましたが、多くの場合、非人の身分も世襲されています。えたは皮革業や死んだ牛馬の処理、非人は犯罪人の探索・逮捕・処罰(鬼平犯科帳の密偵のような人たち)や乞食を行っていたと一般化されることもありますが、必ずしもそうだとは言えません。実際、えたと呼ばれるようになった人びとの多くも農業に従事していました(カテゴリーの問題は複雑でむつかしく、この説明はよくないかもしれないので、詳しくは日本史の専門書を見てください。えたと「呼ばれるようになった」というところが大事だと思います)。

最初に、身分制秩序の最下層と口をすべらせましたが、それさえ確かなことではありません(こう言うのもええんか、あかんか、うーん)。身分制社会の身分は、人間をその身分に縛りつけ、秩序を維持するという働きをしましたが、それぞれの身分には、それぞれの身分にだけ認められた特権もついていました。えた(漢字とひらがな混じって、校正してるんやろうか?「なんでやろ」。)や非人の中には、死んだ牛馬の処理や大道芸を行う特権を独占的に与えられるなど、比較的収入に恵まれている人びともいました。ところが、江戸時代後期になって、幕藩体制が揺らぎ始めると、えた・非人を賤民として、移動や髪型・服装についての規制を強めるなど、身分制秩序の最底辺に縛りつけようとする動きが強まります。

これとは対照的に、1871年、明治政府は、いわゆる「部落解放令」を出して、政治的・法的制度としての賎民の身分差別を廃止し、大枠として国民(平民)の原則的な平等を確立しようとします。しかし、差別は解消しませんでした。国民としての原則的平等の下で、社会的な差別がそのまま残り、現代の同和問題につながる差別となっていきます。差別は続くのに、平等の原則に基づいて、身分制秩序で認められていた牛馬の処理などの特権が廃止されました。「そんなんずるいやん」とふつうは思うでしょう。さらに、一般の平民と被差別部落の住民を区別する呼び方として「新平民」という言葉も広がっていきます。これはかつて言われていたような政府の謀略ではなく、たいていは平民の差別意識の結果です。差別は上から落ちてきたのではありません(いいこと言ってまんがな。「下からの歴史」です。近代差別の歴史は下からが基本やで。でも下はイメージ悪いから「並」それとも「普通」かな)。

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