第14章 プレイバック Part 2

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紹介

ぼくが幼稚園の頃から、母は精神分裂病でした(重すぎやから、授業には使いません。そうすると軽すぎて、学生に怒られるし――もう)。最近は差別的だということで、精神分裂病は統合失調症と言われるようになっています。ただし、ぼくは精神科医じゃないし、母が生きている頃には、聞いたことがない言葉なので、この言葉は使いません(ちょっと自己主張かも)。しかし、みなさんは、一般的には統合失調症と言ってください。本当に。患者さんの願いを尊重するのが適切でしょう。わかるかな(軽く)?自分たちの呼び名は自分たちで決める、この基本をはずしてはいけません(重く)。誰にも他の人びとを勝手に命名する権利はないでしょう。ヨーロッパ人は名前をつけまくりましたがね。歴史的根拠に由来ですって?そんな歴史なら、「道路族といっしょに消えてなくなれ!」でしたっけ。


中学生のときに、席替えで3回も隣どうしに座ることになった女の子がカミングアウトしました。在日であることをクラスの前で公表したのです。ふだんは普通によくしゃべっている二人でした。ぼくは、その子が何を話したのかを覚えていませんが、その子の精神の高揚と感情の高ぶりは今でも記憶に鮮明です。『パッチギ!LOVE&PEACE』とちょうど同じ時期です。

中学卒業後、彼女には一度だけ会ったことがあります。彼女は、子供を自転車に乗せて、わたしんちの近くにある近所で評判の高い小児科に行くところでした。ぼくは大学院生で無意味に散歩中(少し怪しい、いやかなり怪しい)。遠くから親しげに微笑んでいる女性を見つけて、思わずこちらも手を振りました。民族衣装を着て、結婚をして、うんぬんという話をしてくれました。幸せそうな笑顔に、ぼくも笑顔になれました(あんまり人の幸せはすぎじゃないけど。「ぜんぜん」のほうがいいか)。今はどうしているのでしょうか。

「私は…」という告白を聞くとき、「早く言ってくれたらいいのに、いつもと変らないから」という反応がいいのでしょうか。「そんなことはぜんぜん問題じゃないよ」と、励ますのがいいのでしょうか。答えなんてありません。ぼくは思いつきませんでしたし、今でも思いつきません。アホ、アホ、アホの坂田です(心の中でリズムをつけて、難波のモーツァルト作曲。「ここらへん、なんで大阪弁使ってへんのやろ」)。


ところで、ルース・フランケンバークを覚えていますか?フランケンバークは次のように言っています。「日本人は通常、日本人のことを民族として考えることはない。日本人は、日本では非民族的存在、もしくは民族的に中立的な存在である。」その意味するところは、第1に日本人は構造的に優位な立場、国民として民族的な特権を享受する立場にいます。第2にその立場から、自分自身を、他者を、社会を見ます。第3に、こうした立場から行われる文化的な実践、思想や発言や行動は、規範的な力を持っているために、特別な判断をしているとか、日本人的な発言をしているとみなされることはありません(ぼくが勝手に作り変えました。すいましぇーん)。

日本に住む日本民族として生まれた人は(これが難しく言ったときのこの本で言及される日本人の定義です。まだかなり足らんけど、これくらいで堪忍してーな)、日本国内では生まれながらに与えられる国籍と優位な民族的出自を手に入れますが、通常は、それを構造的に優位な立場だとか、世界観の拠ってたつ場だとか、それが規範的な力を持つだというふうに意識することもないし、考えてみることもないでしょう。そういう場合、当然、カミングアウトを理解することなどできないわけです。しかし、カミングアウトという行為が、繰り返し行われてきたことは(この場合は、白人性ではなく、日本人性ということになるのでしょうが)、そういうものが日本に存在し、社会的に意味を持ち続けてきたということを示しています。ぼくはそう思います。

人種や民族的な差異構造のひずみ、あるいは悲劇は、可視化されたマイノリティ(たとえば、「在日」という形で)に集中的に現れますが、それは社会構造の問題であって、マイノリティや個人だけの問題ではありません。アイデンティティの問題は、個人にとっても大問題ですが、人間が社会的な動物であるかぎり、アイデンティティは本質的なところで社会的なものです。公的なアイデンティティ、パブリックなアイデンティティこそを問題としなければなりません。それだけがおそらく議論して意味のある対象です(公的領域と私的領域に分けてるやん。フェミニストに怒られそう)。

すでに述べたように、肌の色や人種による差別が表向きは否定されているのにもかかわらず、それでも根強く残り続ける差別に対して、「白人性」という概念(分析概念)をフランケンバークは提唱して、消え去らない差別を研究しました。こうした差別は、身体を基本としない在日韓国人・朝鮮人の問題と共通しているところがあります。ですから、この点でも白人性というのは身近なものです。


3年生のある日、Aくんに誘われて、放課後、大阪朝鮮高級学校に出かけていきました。Aくんは在日朝鮮人で、北朝鮮と朝鮮人のための民族教育に興味を持っていたようです。Aくんは、「今日、朝鮮高校にいくんやけど、いっしょに行けへんか」と誘ってくれました。「いいよ」、それがぼくの返事です。「軽く」でかけました。近鉄奈良線で花園駅、それから徒歩で約20分でした(昔は軽かったが、体重は軽いの変わらんけど、動きはオモー)

朝鮮高校は別世界でした。金日成の巨大な肖像がかかっていました。レーニンやスターリン、毛沢東崇拝と同じです。「金日成のおかげで、朝鮮高校で学ぶことができる」(ほんとうはこんな軽い表現じゃないですが)。巨大な肖像画も衝撃でしたが、同じ高校生が何の疑いもなく個人を崇拝するのはもっと衝撃でした。それに強烈な民族意識、サッカー部の人もいましたが「日本人には絶対負けない」という一点が支えているように見える民族意識にも、どう応答していいのか、正直わかりませんでした。そのほか、「ちょうせん」という言葉がアクセントの置き方によって侮辱的に発話され、在日の人の心を深く傷つけるということは、今も忘れられない話です。


サッカー部をやめて、しばらくして、同和問題に関する作文が課題に出されました。文章が上手、というよりも文章を書くのが好きだったので(内心「上手やった」と思っています。超高校級)、急速な都市化と産業構造の変化や人口移動によって、被差別部落民に対する差別は緩和されるだろうというような見通しの作文を書いて、提出しました。まじめに書く人が少ないこともあったのでしょう。学校を代表する作文として校外審査へと出されるはずだったのですが、横槍がはいってダメになりました。最初から、同意を取られるときもいやいやで、選ばれることにこだわっていなかったので、「いいですよ」と申し訳なさそうにしている先生には言いましたが、納得はできません。理由も教えてくれませんからね。なぜ?

理由が言えないというのはだいたい都合が悪いことが隠れているのでしょう。今だと想像はつきますが。近代経済学的な主張が、つまり本来は同和問題に関して書くべきではないとされる内容が、校外か校内かわかりませんが、審査の担当者の一部の逆鱗に触れたんでしょう。もちろん、今はそういう単純な内容のものを書くことはありませんが、だからと言って、正当な手続きを踏んで選ばれた作文を葬るのはよくはないでしょう。これも忘れられない体験です。外部の批判を許さなかった膿が最近は出ているようですが、これはいいことです。ですから、学生には自由に書かせます。もちろん、合理的な根拠は必要です。でも、差別や差異を自分の問題として捉えられるようになるには、一人ひとりが自由に考えないとあかんでしょう。ぼくと違う結論になる人だっているでしょう。それを教育現場で隠していいことがありますか?

感想


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