第6章 人間と国民

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紹介

18世紀末、人種概念が「合理的」概念として生み出されたまさにそのときに、近代世界を揺るがす大きな事件が起こりました。アメリカの独立戦争(革命)とフランス革命です。この二つのでき事は、人種とどのように関係しているのでしょうか。本当は履修していないとあかんのに世界史を勉強していない、ちょっと世間に肩身の狭い人は別として、高校を卒業した人はだいたい世界史でこの二つは習っていると思います(今でも「世界史やっていません」という人が大学の授業を受けているのはなんでやろう?)。つまり、この二つが世界の大事件なことはたしかで、歴史の問題としてはよく取り上げられます。ただし、それが「人種とどう関係してるんやろ」みたいな問いは、正面から取り組まれることはあんまりありません。あってもサイドショーですね。


独立宣言は人間の平等を宣言しましたが、独立戦争によって生まれたアメリカ合衆国は、「人民」(国民)の枠組みを制限することによって、市民権を持つ者の間に多くの階層を生み出すことになりました。合衆国憲法の第1条第2節第3項は次のように規定しています。

「下院議員および直接税は、この連邦に加入する各州の人口に比例して、各州の間で配分される。各州の人口は、年期契約奉公人を含み課税されないインディアンを除外した自由人の総数に、自由人以外のすべての人数の五分の三を加えたものとする…」

これがアメリカの独立が持っていたもう一つの意味をもっともよく示した条文です。新しい国家を作るにあって、「誰を国民とするのか」、国民の枠組みの決定が大きな課題になりました。とりわけ国民のなかの完全な国民、課税や兵役の義務を負い、選挙権を持つものを誰にするのかは、そう簡単に片付く課題ではありませんでした。その解答は、「すべての人間は平等」という原則に抵触しないで、つまり人種(奴隷)という言葉を使って差別することなく、税を課されることのないインディアン(政府の外にあるもの)と、奴隷(ほとんどの黒人)を国民から排除し、自由人と年季契約労働者(つまりほとんどの白人です。年季契約労働者{奉公人}は前にもふれましたが覚えていますか?白人でも奴隷と自由人の中間にいるような人たちです。)による政府を生み出すことでした。合衆国連邦憲法は、人間の平等を言葉の上で維持しながら(奴隷という言葉を用いず、「自由人以外のすべて」と表現しています)、白人と非白人の人種差別を認め、制度化したものです(これまでの歴史はこのプロセスの繰り返しかな)。1790年には、アメリカの連邦議会が、憲法が与えた権限に基づいて、アメリカに帰化できる外国人の範囲を決めましたが、さしたる議論もなく「自由身分の白人」に限定しました。もうそこでは、崇高な理念に縛られる必要はなかったようです。


植民地の黒人奴隷は、市民という枠組みの外にありました。人権宣言でも、人間としての権利を認められていませんでした。しかし、18世紀フランスの海外植民地支配の要であったサン=ドマングの黒人たちにも、フランス革命の知らせは伝わります。1791年には、黒人奴隷の一斉蜂起が勃発します。それでもフランスは、奴隷たちを解放しませんでした(フランスの貿易の20%を占める島だからでしょう)。ところが、イギリス軍やスペイン軍が侵攻してくると、フランスから派遣された政府代表委員は、武器を取らせて進入してくる敵と戦わせる代償に、奴隷に対してフランス市民としての権利を認めたのでした。翌年、フランスの国民公会は、この事態を追認し、黒人奴隷制の廃止決議を出しました。

ナポレオンが登場すると、こうした政策は転換されます。奴隷制は維持・復活され、許可を受けない黒人の入国の禁止、白人と黒人の結婚禁止などの措置が取られます。また、ナポレオンは、実質的に植民地を支配していた反乱軍を鎮圧するために、サン=ドマングに多数の軍隊を派遣しました。奴隷制を再度導入しようとするフランス軍に対して、現地の黒人とムラートは徹底して抗戦し、ついにフランス軍を敗北に追い込み、1804年にはハイチとして独立します。いわゆる世界最初の黒人共和国の誕生です。ハイチでの革命の成功は、カリブ海周辺地域の黒人奴隷の抵抗に大きな影響を与えましたが、同時に、この地域で奴隷制を守ろうとするたちに、恐怖心を植え付け、かれらの反抗を強めました。結局、ハイチ以外における黒人奴隷の反抗はことごとく弾圧されることになります。人権宣言の原理の拡大を要求する黒人に対して、それを否定するための論理として、人種主義思想が広まりました(「裏フランス革命史みたいやけど、こちらが本当の表の歴史とちゃいますか。」と言ったら言い過ぎかいな。そうかいな)。


当時、女性は政治的活動をすることを社会的に認められていませんでしたが、監獄改革に活躍したエリザベス・フライ(監獄の天使と呼ばれた人で、ぼくの後輩の森本さんが研究しています。もう一人の天使ナイチンゲールが現れるまでは、多くの女性のロール・モデルでした。)に見られるように、人道主義的な領域では、女性も政治的な(社会に向かって)発言をすることが許されるようになってきていました。奴隷貿易廃止運動では、クエイカー教徒や福音主義者が中心となったので、さまざまな慈善活動で活躍していた信心深い女性たちも、奴隷貿易廃止運動にも参加しました。マーガレット・ミドルトン夫人やハナ・モアは奴隷貿易廃止の熱心な支持者として知られていますが、重要なのは運動を裏方として支えた数多くの女性たちです。彼女たちは、奴隷の作った砂糖のボイコット運動をしたり、鎖に繋がれた黒人奴隷を彫ったウエッジウッド(金融危機の余波でつぶれちゃいましたが)のカメオを身に付けたりして、奴隷貿易反対の意思表示をしました(黒人のイメージを利用する現在の商品にそういうメッセージはあるんでしょうか?)。

感想


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