第5章 ホモ・サピエンスの誕生

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紹介

これもちょっと古いですが、「ソソ、ソクラテスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか、みんな悩んでおおきくなった」という野坂昭如のコマーシャールソングありましたが、そこにはロックやボルテール、ルソーなどの啓蒙主義の思想家はいません。啓蒙思想家はあまり悩まなかったのかもしれませんが、その分、現実の歴史的世界の変革には最も大きな影響を及ぼした人々です。明治期の日本にも、幽霊さん(森有礼)や、中江兆民、福沢諭吉など、多くの啓蒙主義者が現れます。この啓蒙思想が広がっていくなかで、人類というカテゴリーが確立します。啓蒙思想は、普遍的な人類という衣をまとっていたからこそ、広く世界に受け入れられていったともいえるでしょう。しかし、人類という概念が普遍化すると、同時に、その下位の分類としての人種も普遍的な概念として定着していきます。そうした動きを、少し見ていきたいと思います。

さて、この啓蒙思想というのは、いったいどのような思想なのでしょうか?啓蒙思想は理性の役割、人間の合理的な思考をとりわけ重視します。非合理的だと思われる教会や封建的な制度の権威を攻撃し、理性に基づいた進歩を目指す思想潮流です(95パーセント的説明)。しかし、聖書の権威に頼らずに、合理的に考えるには、多くの経験的な知識を集積することも必要でした。宗教的な権威や王を頂点とする封建制度に挑戦するにあたって、啓蒙思想家は、世界じゅうから集められたあらゆる分野の知識を利用しました。理性の力には経験的事実と知識の集積が必要だったのです(百科全書の作成や膨大な標本の収集が行われます)。この経験と知識を利用する理性の担い手は人間であり、人間と人類の問題は、啓蒙思想と深く関わっていました。


さらに身分という大きな帰属集団があります。貴族と平民、貴族、聖職者、市民というような区分がよく見られますね。近代以前には、この身分と人種にちょっとおもしろい関係が見られます。イギリスでは支配階層と被支配階層の違いを人種(血統)raceの違いだとする考え方があり、両者の対立をノルマンraceとゲルマンraceの闘争だとする主張が流布していました。フランスでは、貴族をフランク族の末裔、庶民をゴール人の末裔とする考え方があり、raceの区分は、しばしば身分の区分と重なっていたのです。この時代のrace という言葉は、身分の差異とも関係していた言葉でした(「人種」という言葉の使い方が混乱しているのは今に始まったことではありませんね)。すでに述べましたが、その他のさまざまな社団への帰属意識もありました。ローマ・カトリック教会に属するか、プロテスタントの教会に属するか、ユダヤ教徒でいるかというような宗教上のアイデンティティも、時に生死の鍵を握るほど重要でした。前近代のヨーロッパでは、国家というような単一のアイデンティティを決めるシステムが優位に立つのではなく、さまざまなアイデンティティの体系が錯綜しており、地域的・身分的に特殊で、とても複雑なシステムになっていました。

啓蒙思想は、キリスト教的、身分的、地域分断的秩序を批判する思想でした。一方で、啓蒙思想は、伝統的な秩序への挑戦を理論的に支え、多種多様な社会的結びつきや組織を非合理的な慣習と批判することで、こうした分裂を超越して「国民」が構成する国民国家への道の下準備をしました。ところが、他方で、啓蒙思想の根本には、理性を備えた人間がありましたから、理性を備えた「人間とは誰か?」、「人間とは何か?」を、いつも問わざるをえませんでした。その結果、「普遍的な人類」という概念の誕生にも寄与することになります。次に、この「人類」の概念の誕生について見てみましょう(「ど根性トリュフとかが出てくること期待してませんか?」)。


こうした関心を背景に、植物や動物の体系的な分類が試みられるようになり、人類もその分類体系に組み込まれることになります。よく知られているように、スウェーデンの博物学者で、分類学の父と呼ばれるカール・フォン・リンネは、人類の分類の基礎も築きました。現在の分類はさらに細分化されていますが、おおまかに言って、人間を哺乳綱、霊長目に分類し、「ホモ・サピエンス」という学名を与えたのは、リンネです(現在は、「ホモ・サピエンス・サピエンス」と言うそうですが、ピテカントロプスにはなりませんでした)。

また、リンネは、ホモ・サピエンスという種をさらに六つに分類し、その亜種(変異)として、アメリカ人、アジア人、ヨーロッパ人、アフリカ人という「人種」と、これらと同格の位置を占める亜種として「野生人」と「奇形人」を置きました。ところで、この「野生人」と「奇形人」とは何なのでしょうか。まずリンネがあげる野生人の例は、すべてヨーロッパ内のもので、口がきけない「四足の人間」の少年少女です。こうした例には、ジャン・ジャック・ルソーなどの啓蒙思想家が、自然状態の人間を考察するための参考例として注目していました(自然状態の人間は思索の産物で、現実には存在しません)。ルソーは、『自然の体系』第10版の3年前に出版された『人間不平等起源論』のなかで、ヘッセンの狼少年、リトアニアの熊少年、ハノーバーの未開人の少年、ピレネーの子供たちを挙げていますが、いずれもリンネが記載した「野生人」と重複しています。


もうひとつ例をあげておきます(岡崎勝世さんのここの引用は完全な受け売りでーす。ネットに落ちてました。本当やろうか?ドイツ語は読まれへんし。でもドイツ語史書の購読演習は「優」やったぞ!)。『自然の体系』第10版の出版後に、ドイツの啓蒙主義歴史家、フォン・シュレーツァーは、『世界史』(1785)59頁において、次のように述べています。

「人間は生ずるものではなくて、成るものであり、人間の人間化の原因は彼の外部に存する。本性からいえば人間は無であり、諸関係を通じて、彼はすべてのものに成ることができるのである。この無規定性は、人間の本性の第二の要素となっている。無数の能力が人間に宿っているが、それを何らかの機会が単なる可能性から活動へと誘うことがないならば、能力は永遠に眠り続けるのである。荒野にあって羊の間で育てば、彼は羊となって羊の草を食べ、メエとなくであろ(う)し、その創造者の似姿になる環境、すなわちその理性を成長させる環境にあれば、それまで獣に近かった状態を脱し、上昇して高貴なものとなるか、あるいは下降してもっとひどくなるかのいずれかであろう」

ここでシュレーツァーが例示した、羊の間で育った子供は、まさしくリンネが野生人の例として言及した「ヒベルニア(アイルランドの古名)のヒツジ少年」です。シュレーツァーによれば、ヨーロッパ人は、生まれながらにしてヨーロッパ人なのではなく、環境の違いによってヨーロッパ人にもなり、「ヒツジ少年」にもなるのです。


啓蒙思想における人種区分にはどういう特徴があるでしょう。啓蒙思想は旧来の秩序に対抗するにあたって、人間の理性に全幅の信頼を置きました。しかし、啓蒙思想にとっての理性的な人間という仮定には、一つの問題がありました。啓蒙思想は、あらゆる地域・民族を超えて人間という存在を規定したので、この意味で、人間は普遍的な概念です。しかし、人間と人間以外の存在の境界は、どこにあるのでしょうか。その境界を理性的・経験的に確定できるのでしょうか(ここらは、読者のじゃまをしないように気をつけていますが、ちょい苦しい)。

すでに述べたように、リンネが分類した人類(ホモ・サピエンス)は、動物から截然と区切られていたのではなく、奇形人や野生人、穴居人を介してそれと繋がっていました。同じようにルソーも、人間と動物の境界を明確に引くことはありませんでした。人間の人間たるゆえんは、理性によって完成された人間になれる可能性にあります。ルソーによれば、人間は将来どこまで完璧な存在になれるかはわからないと同時に、元々はどれほどまで人間性の程度が低かったか想像もつかないほどです。つまり、人類は、元々は非人間的な存在であり、人間である証拠は現実の人間の状態にあるのではなくて、そこからよりすぐれた人間になれる可能性にあります(リンネの人類と人種に関するいわば文化的な記述はこれに対応しています)。

このように人類の中で、その完成度に大きな幅があるとすると、現実に生きる個人や人類の中の集団は、理想化された人間としての完成度の達成具合によって段階的に区分できることになります。その完成度の基準は、つまり語られることのない前提は、ヨーロッパ文明であり、ヨーロッパ人です。啓蒙思想ではイギリスとフランスがその中核を占めることになります。人類という枠組みの中で、英仏の中上流層の男性を基準にして、それに満たない民族、人種、女性などの階層化が行われ、その底辺は人間ではない存在へと続いていきます。つぎの図はこれを模式化したものです(95パーセントです。「白人の女性と他の白人をいっしょにするのはおかしい」、ごもっともやけど、そんなに正確なことを図では目指してへんよ)。このような階層化には必然性はありませんが、当時のヨーロッパ人はこれを自然なものだと思い込みました(ロックは、理性から外れた行動をとった人間は、全人類に宣戦布告をしたのであって、その人間をライオンやトラのように殺すことを認めています。逆に、現在のオーストラリア人にとって、クジラは人間性の塊であって、これをテロリストのように殺すことは、全人類への宣戦布告です)。


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