第3章 差別はいつまでも変わらないか?

前の章へTOP>第3章|次の章へ

メニュー

見出し

紹介

実に調子にのってローカルな歴史にアクセル全開しちゃいました。ここで少し頭を整理しておこうと思います。さて、授業で、江戸時代の武士・百姓・町人・えた・非人という身分制秩序における差別と、近代にも変わらなく続く部落差別の説明を聞くと、学生のなかには(少なくない数の学生です)、「差別はいつもあったんだ。人間は本質的に差別的なんだ」と自分で勝手に授業の趣旨を理解してくれる子たちがでてきます。また、えた・非人のような賎民とされた身分に対する差別と、人種的差別を同様の差別だと思う人もでてきます(十分な理由があってのことですが)。この問題について、ぼくの立場というか、「思い込み」を話したいと思います。なぜ、思い込みの話をしないといけないかというと、それがこの本を貫く骨組みの一つだからです。

差別が人間の本質かどうかという点に関しては、率直に言って答えは「NO」です。差別はいつの時代にもあったというのは、おそらく正しいと思いますが、問題は、差別のあり方が、それぞれの社会によって大きく違うことです。ですから、どの社会にも差別があると言っても、それで特定の社会に対する理解が深まることはありません。しかも、「本質的に人間的なものがある」という前提さえ、ぼくは疑っています(疑りぶかいんです。オレオレ詐欺にはひっかからんで、「絶対に!」、娘やからね)。人間は、実はありとあらゆるところに、たとえば大根にも、「ど根性大根」のように、人間的なものを発見します。人間の本質と言われるものと、「ど根性大根」の人間性に、大きな違いはないように感じます。


日本の部落差別のことを考えると、確かに江戸時代にもえた・非人と呼ばれ、賎民とされた身分があり、多くの点で現在の被差別部落の差別へとつながっています。一方では、こういった連続性を否定することはできません(なんにでも歴史はあるからね)。他方で、明治政府が、えた・非人など賎民身分をなくそうとしたことも事実です。それは江戸時代後期に、幕府や諸藩が賎民に対する規制を強めようとしたのとは、ぜんぜんちがいます。被差別部落の生活を改善しようとした例だってあります(昔、学生を連れて、こうした場所の見学に行ったことがあります。近代化のモデル集落の面影がありました)。こうした違いを生み出した、伝統的な身分制社会と近代社会とは、「どこがちがうんやろうか?」


そうそう忘れてはいけませんね、もうひとつの疑問。「身分差別と人種差別はちがうんやろうか?」ちょっと別の言い方に換えると、「人種差別は伝統的な差別やろうか。それとも近代的な差別やろうか?」これも単刀直入に言うと、人種差別は、近代的な差別だと思います(ここらへん、ずいぶん調子にのって、95パーセントを連発しています。読者は左右を見て気をつけよう。ぼくは、溝にはまって腓骨・脛骨骨折全治6ヶ月、注意不足は危険です)。被差別部落の問題が、江戸時代のえた・非人に対する身分差別の歴史的背景を持つように、近代の人種・民族差別にも、白い膚を優れているとする意識やユダヤ教徒迫害、黒人奴隷制の展開のような前史があります。しかし、それが直接、近代人種主義思想や人種意識の流布につながったのではありません(知らんけど。100パーの断定は蜜の味がします)。

江戸時代の賤民に対する差別が、国民国家の形成がすすむなかで、部落差別に姿を変えていったように、人種差別は、世界的規模で生じた身分・職業・居住地などの流動化に対応して、奴隷制度やユダヤ人迫害などから転換して生まれてきた、差別思想、差別意識、差別制度(太字にしてみました。人種差別の3大要素というと、どうでしょうか)です。この点をこれから説明したいと思います。

感想


TOP 0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 オマケ