第12章 人種は文化

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紹介

身体は客観的で自然なように思われます。しかし、それを私たちが見たり、感じたり、認識したりするとき、身体は文化の一部になります。人種を分類することは、文化的な活動の一つなのです(ぼく、ちょっとしつこいね)。人種の分類の仕方が、それを分類した社会の文化を分析する有力な手がかりになります。

人種とは、人類を身体的特徴で分けた集団。

民族とは、人類を文化的特徴で分けた集団。

という人種の定義も、ある一定の条件では有用なものですし、それ自体ダメじゃーんというわけではありません。「ええー?」これも一つの文化的な分類としては役に立つ場合があります。これを95パーセント的学習で丸暗記してしまうところに、本当のダメじゃーんがあります。でも、もちろん不用意に使うのはいけません。


科学技術の進歩のおかげで、人類集団の近親関係がわかるようになってきました。たとえば、あるDNA配列を「白人のものやで」と決めて、その所持者を「白人や」とすれば客観性が増すように思われるかもしれませんが、そうして決められた白人と、特定の時代に特定の地域で白人とされる集団、たとえば現在のアメリカで白人とされる人びととはかなり違うでしょう。厳格に定められた科学的な「人種区分」は、歴史的に意味を持ってきた現実の文化的な人種区分とは「でんでんちゃうもん」(和歌山に進出)です。


人種という概念は、時代や地域によって大きく変化するカテゴリーです。人種は文化的な産物です。一定の身体的特徴を持っている人びとが、自動的に白人という集団を形成したのではありません。歴史的な白人という集団は、身体という客観的事実が決めてきた集団ではなく、人間が恣意的に定めた文化的な分類であって、科学的・客観的には定義できない集団なのです。(身体自体も客観的な事実ではありませんが、相対的により客観的という意味で、そう言っています。いらんこと言い過ぎかな?)

人種という概念や白人というカテゴリーが、「どういう歴史的文脈で、どういう社会的状況で、どういう人びとによって、どういうふうに使われているのか」と考え、その背景を理解しようとすることは有益ですが、「白人とは何か?」という問いに対して「白人とは、xxxだ」と答えることは、意味がありません(ああ、本のテーマを否定しちゃった)。「白人」という言葉が指す対象が変わり、その意味が変わっていくことこそが、理解すべきことだと思います(ちょっとかっこいいかも)。

感想


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