村田薫音さん.jpg

美学 博士前期課程(2023年3月修了) 
伊藤忠エネクス株式会社

 マージナルな存在が語りうるものとは何かという問いをもっと考えたいと思い、4回生の11月というぎりぎりの時期に進学を決めました。大学院では美学専修で戦前昭和の女学生の習字について研究しました。私が大学院で学んだことを思考とスキルに分けて紹介しますと、思考については「文書以外に、芸術作品や生活雑貨などあらゆるものに語り口がある」という観点を得たことが最も大きかったと思います。これは、美学専修において、芸術の周縁的なものや食といった、従来の議論で評価されてこなかったものにも光を当てられることに由来しています。周辺について探究することで、今まで看過されてきた、語り口自体の存在が浮き彫りになるという視点を得られました。

 そしてスキルについては、「読んだものと読む人双方への誠実さ」を鍛えることができました。学部生もそうですが、特に大学院生は文章をきちんと書くことが求められます。自分が読んだ複雑な文書や史料について、異なるテーマを研究する人が読んでも、一度で理解されるように書く事は、とても難しい作業でした。しかし、独自の見解を打ち建てながら正しく記述する経験をさせてもらったことは、在学中や今後の活動の基礎になりました。

 まとめと感想になりますが、これらの力を鍛えて一番良かったと感じているのは、研究対象を鏡像にしながら、イマ・ココ・ワタシを見つめなおすことができたことです。就職活動などをしていると、無批判に「社会に役立つ人材になりたい」などとつい言ってしまいますが、「国のために良妻賢母になれ」と教えられていた戦前昭和の女学生との違いはどこでしょうか。そんな問いを持つことで、イマ・ココ・ワタシを相対化できました。
昭和の女学生たちは、高い学力を持ちながら学問の道へ進む可能性を摘み取られていました。現代の私たちが自分で自分の可能性を摘み取ってしまうのは勿体ないことです。学部生の皆さまは、最初から進路を決めつけてしまわず、色んな可能性を検討して下さい。いい加減に決めてしまうと、困難に際しても「あの時ちゃんと考えれば」と思って力が発揮できません。しっかり悩んで決断した道なら、「乗り越えよう」と思えます。

※ご勤務先などは2023年4月現在のものです。