伊東 信宏 教授 《音楽学・演劇学専修》

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いとうのぶひろ
1960年生まれ。大阪大学文学部、同大学院で学んだ後、リスト音楽院客員研究員、大阪教育大学教育学部助教授等を経て、大阪大学文学研究科教授。文学博士(大阪大学)。専門は東欧の音楽史、民族音楽学。著書に『バルトーク―民謡を「発見」した辺境の作曲家』(中公新書、1997年)、『中東欧音楽の回路―ロマ・クレズマー・20世紀の前衛』(岩波書店、2009年)等。また編著書に『ピアノはいつピアノになったか?』(大阪大学出版会、2007年)等がある。

聞き手・構成=和田 薫(英米文学・英語学専修3年)、小林加奈(英米文学・英語学専修2年)

『大阪大学文学部紹介2014-2015』からの抜粋。聞き手の学年は取材(2013年10月)当時。

研究としての音楽学

和田 : どんなことを研究されていますか?

バルトークっていうハンガリー生まれの20世紀の作曲家がいるんですけど、彼の音楽の研究がメインの一つ。そして、この研究をしているうちに東ヨーロッパの民俗音楽にも興味が出てきて、そこからルーマニアのポップミュージックや「チャルガ」っていうブルガリアのポップミュージックも研究しています。

小林 : バルトークを研究対象に選んだのはなぜですか?

学部時代はハイドンの交響曲のような、いわゆる「クラシック」の研究をやっていたんですが、大学院に入ったとき、これから何で食べていこうって考えたんですね。そのときに、昔バイオリン習っていた頃、レッスンで少しやったことがあったバルトークのことを思い出した。バルトークって、すごく繊細な人です。でも一方で、ピアノをバンバン叩きまくるような野蛮で暴力的な曲を作っていたりもする。そういう両極端、その振れ幅が面白いと思ったんです。

小林 : 音楽学を研究している方は楽器経験者が多いのでしょうか?

何らかの形で楽器をやってたという人は多いですね。ほとんど演奏家並みに弾ける人もいれば、好きでいろいろな楽器に手を出してますっていう人もいます。

和田 : 音大とかとは違いますよね、阪大の音楽学は。

そうですね、違うと思いますね。音大では音楽の基礎的能力みたいなものも試験された上で入学してきている人が多いですよね。そして実際に演奏したり作曲したりする人が近くにいる分、やりやすい面とやりにくい面がたぶんあると思います。阪大の場合、実際に音楽家になろうと思っている人はあまりいないので、音楽を少し突き放して見られるっていう面はあるかもしれませんね。その分、実際に音楽やってる人が何を考えているのか理解するのは難しいので、そこは意識しておかないといけないと思いますけど。

小林 : ということは、音楽は好きだけど楽譜は読めない学生でも、音楽学を専門にできるのですか?

うん、楽譜なんてすぐ読めるようになるし、入ってから勉強したらいいと思う。外国語でもそうでしょ?トルコ語の専攻ですって言っても、入った段階でトルコ語ができるわけじゃないでしょ?4年間かけて勉強するわけじゃないですか。同じことだと思いますね。

音楽の持つ両面性

和田 : 音楽とは何だと思いますか?

今は音楽を癒しや娯楽のために聴いたりするけど、もともと音楽というものは、人を癒したりするものじゃなくて、もっと恐ろしいものだったと思う。音楽がもともと鳴ってた場所というのは、一つはお祭り。朝から晩まで、飲んで歌って、踊って騒いでっていうのが何日も続くみたいなところ。もう一つは、教会、あるいは宗教儀礼の場。両方とも、非日常なんですよ。ふだん見たことがないような光や音、ひょっとしたらお香がもうもうと立ち込めてる、そんな場所の中に何時間も閉じ込められていたら、ある瞬間に異界みたいなものが見えるんだと思う。つまり音楽っていうのは、もとは異界とコミュニケーションするための手段だったんじゃないかと思います。それが今すごく飼いならされて、コンパクトディスクになって、誰でもどこでも持って行けるようになって、イヤホンしたら道を歩いてても聴ける。現代の人にとって、音楽はすごく便利に飼いならされてるわけですよね。だから「音楽」というのは、みんな手軽なレジャーだとしか思っていない。「癒し」というものも、そこから来てるんですよ。でも、扱い方を間違えれば本当は恐ろしいものだと思うけどね。だから研究しておいたほうがいい。いつ国家や宗教家が音楽を使って人々を扇動し出すか、分からないんだから。

小林 : 昔とは音楽そのものが変わってしまっているんですか?

人々が音楽について抱くイメージが変わってきていると思うね。でも音楽そのものは潜在的には、いつの時代もそういう魔力みたいなものは多分持ってると思います。ナチスの時代とか、実際あったんだから。
そもそも「仕事/遊び」を単純に分けすぎてるんじゃないかと僕はいつも思ってる。音楽は「遊び」の側でしょ?学校の教科でも主要5教科は真面目に勉強しないといけないけど、音楽は息抜きの時間ってみんな思ってる。
でも仕事だって楽しいときもあるし、遊びだってしんどいときがある。OnとOff ってそんなに簡単に分けられないと思います。ふだんは嫌だけど真面目に仕事をして、休みになったらディズニーランド行くっていう生活のOn/Off を単純に分けすぎていると思うなあ。だから「遊び」の側も深さのない遊びになって、「仕事」の側もすごく単純なルーティンワークとかマニュアル仕事になっている。この両方の間を行ったり来たりするだけになってしまったら、生きるっていうのは単純だけど本当に面白くないだろうなあって思うんですよ。
音楽だって今言ったように、実はすごい恐ろしいところもあるし、ただ単に気持ちいいとか聴いて楽しいとかっていうだけじゃない、もっとシリアスなものを持ってるはずだ。そういうのを分かってほしいと思います。

学生に向けて

小林 : 音楽学を目指してる学生に勧める音楽やCDはありますか?

バルトークに興味を持ったポイントも似てるんですが、聴いてすぐ、「あ、好き」っていうんじゃなくて、「なんやろこれ?なんでこんな変な音するんやろう」とか、「一体この人たち、何考えてこんな音楽してるんやろう」とか、そういうのが、いいと思う。15年ぐらい経って「ああなるほどな」と思えるような音楽を聴いておいてほしい。授業もほんとはそういうものなんだけどね。

小林 : 何年も経ってから、やっと言いたいことが…。

そうそう。授業アンケートで「分かりやすかったですか」なんて回答させるのはくだらないと思う。90分で分かることってたかが知れてるでしょ? 本当に理解するっていうのは、たぶん自分が変わらないといけない。それまで知らなかったことを本当に理解するっていうのは、理解したことで自分が変形してしまっている、という体験だと思います。そんなの90分の授業時間内では難しい。90分で分かるっていうのは、たぶんもともと知ってたことであって。それまで知らなかったことを「おおなるほど」と思うのは、どこかで壁にぶち当たるとか、いろいろ経験を積むとか、大変な経験なんです。

和田 : これからの展望はありますか?

これからの展望はですね、ポップフォークっていう、民謡っぽいポップミュージックがいろいろなところにあるんですよ、東ヨーロッパとかトルコのあたり、それにアジアの国々。そういうのを国際比較をする会議をやりたいと思ってて、今準備しているところです。もう一つは、バルトークとリゲティの音楽論の翻訳を出す予定です。リゲティは20世紀の後半に活躍した作曲家です。たぶん今から数年は、そういう仕事に費やすことになるかと思います。

和田 : 音楽学にどんな学生が入ってきてほしいですか?

今、自分の手持ちの材料じゃなくて、これから何か勉強したいと思ってる人が来てくれたらいいなと思います。楽器も語学もね。大学時代に勉強できることっていっぱいあると思うので。そういうのを貪欲に勉強したいと思ってる人が来てくれたらいいですね。