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西洋史学 博士後期課程(2014年3月修了) 

 私は、2000年に文学研究科前期課程に社会人として入学しました。2014年に博士学位を取得するまでに14年かかったことになります。2000年までの5年間は大阪外国語大学国際文化学科(夜間主)に在籍しました。前期課程修了(2003年)までは、大阪府内の公立中学校で英語の教師として働いていました。

 私が「もう一度、勉強しなおしたい」と考えるようになったきっかけは、1992年のアメリカ、ロサンジェルスで起こった人種暴動です。1960年代に大学生であった私は、アメリカの公民権運動史を卒論のテーマに選び、卒業後もアメリカの人種差別にはそれなりの関心を持ち、また、教師という立場でも、生徒を取り巻く日本社会の様々な理不尽な差別や矛盾に向き合ってきました。「ロス暴動」は、アメリカの人種問題の複雑さ、根深さが新たな段階にあることを示した、衝撃的な事件でした。いったいアメリカ社会はどうなっているのだろう・・・知りたい、この思いが、私を大学に誘いました。

 大阪外大での卒論では、アメリカのアファーマティブ・アクション政策を見ることによって、アメリカの人種をめぐる状況を検討しました。卒論の執筆を進める中で、アファーマティブ・アクション政策について、1990年代になって、廃止や見直しを進める州や自治体があることを知り、何故だろうと疑問を持ちました。1992年のロス暴動のきっかけとなった、警官による黒人市民への暴力事件などを見ても、人種差別が解消したとは言えないアメリカ社会であるのに、「差別是正策」はもう必要ないと言えるのか、なぜ、住民投票で廃止票が多数となるのか、調べてみたい、もっと研究を続けたいと考え、大学院への進学を志しました。大阪外大での指導教官に、大阪大学文学研究科の藤川隆男先生を紹介していただき、先生の研究室の扉を、「文字通り」ノックして、先生にお会いしたのです。

 この日から、私にとっては、すべてが「チャレンジ」でした。「歴史学」の森の中に、分け入り、道に迷い、先輩の院生や先生方に助けていただきました。アファーマティブ・アクションを歴史として分析する・・・とはどういうことなのか。文献の読み方、史料の探し方、史料評価について、研究発表の作法、論文執筆の基本的作法にいたるまで、何から何まで手探りでした。すべて、一から、阪大で学びました。院生でしたが、学部の授業も受けました。厚かましく、多学科の授業も受けに行きました。

 修論のタイトルは「アメリカの人種関係におけるアファーマティブ・アクションの意義―1970年代からの黒人の問題を中心に―」であり、博論は「アメリカにおけるアファーマティブ・アクションの展開―歴史的考察から見る国民の境界線の再編成―」としました。論文題名から、研究がどのように深まっていったかを、想像していただけるのではないかと思います。おかげさまで、2年後に博論を出版することもできました。(『語られなかったアメリカ市民権運動史―アファーマティブ・アクションという切り札』大阪大学出版会, 259p., 2016/6)

 14年間、「チャレンジ」の毎日でしたが、研究が嫌になり、やめようと思ったことはありません。理由は、1)健康であること、2)すばらしい先輩と先生方に恵まれたこと、3)家族のサポート、だと思います。今も「チャレンジ」は続いています。科目等履修生として、ゼミに参加させていただいています。「アートと社会」について考え、フィラデルフィアの壁画を調べています。その意味では、私は「修了生」ではありませんね。西洋史研究室という、素晴らしい研究環境にしがみついています。

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第118回Global History Seminar終了後、David Armitage 先生と共に(2023/5/30)