はしもと・よりみつ
1970年生。大阪大学文学部卒業(英文学)。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(英国地域研究)。英国ランカスター大学大学院博士課程修了(歴史学)。横浜国立大学教育人間科学部准教授、大阪大学文学研究科准教授を経て2019年4月より現職。共著に『天空のミステリー』『国際日本学入門』、Histories of Tourism、編著にYellow Peril, Collection of Historical Sources など。
聞き手・構成=國本理恵子(美学・文芸学専修3年)、杉原慶海(美術史学専修3年)
『大阪大学文学部紹介2012-2013』からの抜粋。聞き手の学年は取材(2011年10月)当時。
比較文学を選んだきっかけ
杉原:比較文学とは、どういう学問なのでしょうか。
文学ってカツ丼とかと似てるんですね。もともとあったと勘違いしてしまうほど根付いているけど、実は19世紀以降とか最近になってできたものがけっこう多い。逆にラーメンみたいに、外国産のようだけどほぼ国産だったりとか。日本にカレーライスがあるように、イギリスにもチキンティッカマサラといって英国産のインド料理があります。和食にしても原料は外国産だったり、懐石だってコース料理を取り入れているし。スシも江戸前のスシが世界で食べられる一方で、日本へ逆輸入もされてますよね。日本の料理一つみても外国と密接にリンクしているわけで、それはどこの国の文学や美術もおんなじなんだと思います。比較文学では、そんなふうに文学というものを一つの国のなかだけでなく複数の国とのつながりからとらえなおして、その成立の経緯や越境を跡づけるんです。
國本:橋本先生が比較文学の道に進まれるようになったきっかけを教えてください。
実は比較文学で学位はとってなくって、そのうえまとまった仕事がないのでえらそうなことはいえないんですが、研究者になろうと漠然と思ったきっかけは、手塚治虫でした。1977年、私が7歳のときに全集が刊行されて、その第1回配本の『ジャングル大帝』からこのかた父親がちょくちょく買ってくれたんですね。手塚治虫はおもしろいだろうからって。それですっかりはまったんですが、手塚には小説や映画を翻案して作った話がとても多いんです。『ファウスト』を3回も漫画化したのは有名ですが、同じゲーテの『若きウェルテルの悩み』もとても印象的に『火の鳥 未来編』で引用されているんですね。長年の研究が水泡に帰して挫折感いっぱいの猿田博士がゲーテの一節を読む姿、キザなんだけどすっごい衝撃で。北里柴三郎やエジソンなんかの偉人伝とはまるで違っていた。今から思えば、猿田博士ってファウスト博士を換骨奪胎してるんですよ。あと、手塚の短編に『新聊斎志異』ってのがあって、『聊斎志異』にならって自分も怪談の聞き書きをしたという設定なんですね。すると家に『聊斎志異』があって、手塚が創作した架空の本と思ったら本当にあったから驚いて、読んでみると怖いというよりすごく艶っぽい。それを手塚は、日本の狐女房ものにうまくつなげて怪談に仕立て上げている。そんな素材の料理の仕方にほれぼれして、こんなの研究できたらいいなあって思ったのがきっかけです。
だからヨーロッパの小説はすごいと思ったけど、中国や日本のものも好きで仕方ない。当時は比較文学がなかったので専修選びは本当に悩みました。そんな時にたまたまエドワード・サイードの『オリエンタリズム』と橋川文三の『黄禍物語』を読んだ。そっか、東洋がどんなふうに描かれているか研究すればいいんだと早合点して、英文学に決めました。ただし自分は、好きな名作だけ読んでいても、何にも面白いことが言えない苦い現実にすぐ気づいたんで、誰も読まない、評価もされていない小説を片っ端から集めて読んでいって、傾向とか、元ネタはどこにあるのかを探したりすることにしました。
『黄禍物語』で知ったんですけど、欧米では19世紀の後半から、日本や中国は恐いぞ攻めてくるぞといった東洋脅威論そのままの小説が出てきて、それが同時代の日本で、むしろ肯定的に翻案されたりするんですね。日本のナショナリズムやアジア主義を刺激したりするんです。正直、三文小説だから、あんまり面白くはないんだけど、それをずらっと並べてみると、面白いことがいろいろみえてくる。サイードは『オリエンタリズム』で欧米人の東洋に対する偏見は無意識の不安が投影されているって言うんだけど、英国の偏見が日本のアイデンティティになったり、そんな日本について警戒する報道がまた英国の黄禍論小説に取り入れられたりと、相互関係の方が面白いような気がしたんです。さっきのスシの逆輸入とかといっしょですね。
学生時代の橋本先生
國本:学生時代はどのように過ごされましたか。同人誌を作っていたとお聞きしたのですが…
とても恥ずかしい限りです。まわりの同期といっしょであまり授業には出なかったんだけど、よく図書館に行って本を読んで、イキがって評論とか翻訳の同人誌を作ってました。で、その資金源として、文学部だけの講義情報誌を毎年作って売りました。この授業は先生の論文を読んだらレポートは楽勝だとか、分析なしの語学の授業だから楽とか…そういうことをみんなでいやらしく調べて書きました。でも単位は取りにくいかもしれないけれど、聞いていて面白い授業、最前線の話が論文になる前に聞ける贅沢な授業ってのがけっこうあって、それを文学部の皆に知ってもらいたいと思って作ったのが一応、目的です。私らが卒業してしばらくして、なくなっちゃったんじゃないかな。
この講義情報は、恩師、といっても授業にはろくに出ずに生意気な質問ばかりしてたんですけど、その藤井治彦先生が実はごらんになってて、後になって私怨がないのがよかったっておっしゃってくださって、これもほんと恥ずかしかったです。こっちに赴任したとき文学部紹介の担当になって、因果はめぐるというか天罰だなと思いました。教える側になると、同じ内容を繰り返す授業も、みっちり語学を磨く演習も欠かせないことがよくわかる。とても藤井先生みたいにはなれない。先生にはよく本を貸していただいたんですが、いま総合図書館で本を借りると先生の旧蔵書だったりして、「物知りになるなよ」ってたしなめられたころを思い出します。受け売りで本の題名だけいくら知っててもだめだよなあと。
文学部について
杉原:文学部生の強いところって、どんなところでしょうか。社会に出て即、使える技術はあんまり習いませんよね。
それがいいところなんだよね。会社に入ったらこれができます、っていう即戦力は、テクノロジーが進化したり、法律や戦略が変わったりすれば途端にいらなくなってしまう。もちろん文学部生の強いところはあって、この文学部紹介の記事みたいに自分たちで企画して下調べしてものが書けるところです。それに社会をちょっと引いたところから大きく眺めて、ニッチみたいなすきまとか足りないところ、光があたっていないけれど面白いところを探し出せるのに文学部生はすごく長けているんです。しかもそれをきちんと調べて書くことができる。こっちだ、いやあっちだ、と指示したり、がむしゃらに進む人はもちろん必要です。でも、みんなそれだと死の行進で破滅してしまう。パニック映画を見ればわかるでしょ。本当にそうか?と冷静に踏みとどまる人も同じくらい必要だと思います。
最後に文学部生に一言
自分で「おいしいもの」を作りだせる人になってください。ビュッフェとか食べ歩きみたいに好きなものだけ食べるのは楽しいんだけど、包丁のとぎ方から修業して材料を仕入れにいって何か作れるようになると、好き嫌いの判断だけでなく、おいしいものが生まれる仕掛けや仕組みがわかりますよね。そうすると今度は料理を仕切ることができる。文学部で仕込みをしっかり学んで、いろんな意味で文化や社会を仕切り直したり、仕掛ける人になってください。いつかその経験を文学部紹介とかで教えてくれるとうれしいです。高校生の人は、文学部に入ったらぜひ文学部紹介の編集委員になってください。