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収蔵資料紹介

日本史学関連資料

「長崎渡来駱駝図」「長崎渡来駱駝図」

文政4(1821)年6月、オランダ人が2頭の駱駝を長崎に連れてきた。駱駝は、江戸をはじめ日本各地で見せ物となり、駱駝の絵の刷り物も何 種類か刊行された。これは丹羽桃渓によって描かれたもので、版元は大坂伏見町の茶碗屋吉兵衛である。絵につけられた解説には、駱駝はものを一度に食い、そ の後4~5日間食事をしない、土中の水脈をあてることができ、性質は柔和などとある。「滋賀八コレクション」の一つ。

東洋史学関係資料

モンゴル語『善悪因果経』

東アジアでの仏教の普及にとって重要な役割を果たしたのが「偽経」と言われる仏典類、即ち民衆への布教のために中国で漢文で作成されたものである。 その代表のひとつが6世紀頃に成立した『善悪因果経』であり、これは漢文からソグド語・チベット語・ウイグル語・モンゴル語・満洲語などに翻訳された。モ ンゴル語版には大蔵経に収められる2種類の訳本があるが、阪大所蔵本はそれらとは違う訳本である。16~17世紀に書写されたものであるが、散逸したウイ グル語版の復元に役立つもので、文化交流史研究上に独自の価値を持っている。本来は小さ目の貝葉10葉で完全なものであるが、阪大には8葉が所蔵される。

モンゴル語『善悪因果経』

【参考文献】森安孝夫「『善悪因果経』の流通とその史的背景」(『三島海雲記念財団第23回事業報告書(昭和60年度)』、1986年、pp.225-231)

日本文学関係資料

手繰舟てぐりぶね

『手繰舟(てぐりぶね)』俳諧撰集。顕成編。横本。4巻4冊(巻1、2、7欠)。17世紀後半の堺の俳人たちの作品を集めた句集。『誹諧書籍目録』の記述によれば、寛文 12(1672)年7月の刊行と推定される。編者の顕成は、西山宗因と生涯にわたって親しく交流した人物であり、本書からは、談林勃興期における堺俳壇の 様相をうかがうことができる。巻3から巻6までの零本ながら、土橋文庫以外の所蔵は現在確認されておらず、きわめて貴重である。

【影印】『語文』33、34、 36、37輯(1977年~1980年)

『手繰舟(てぐりぶね)』『手繰舟(てぐりぶね)』

【参考文献】永野仁「『手繰舟』と阿知子顕成」(『堺と泉州の俳諧』新泉社、1996年)

『竹林抄』

『竹林抄』

連歌撰集。宗祇編。半紙本。10巻3冊。『竹林抄』は、通例、百韻などの形をとる連歌の中から、付句・発句を抜き出し、和歌集の部立に倣って分類・ 配列したもの。宗祇の代表的な撰集であるが、40ほどの伝本が現存し、収録句数や句形には多くの異同がある。土橋文庫所蔵の 『竹林抄』は、続群書類従本には見られない特異句を含み、室町期に書写にかかる野坂本と巻3までの欠落句の状況が一致するなど、興味深い本文を持つ。奧書 から、元文4(1739)年、土橋包白が校合を行い成ったものであることが分かる。

『竹林抄』

『竹林抄』

【参考文献】両角倉一「『竹林抄』の諸本と成立」(『宗祇連歌の研究』勉誠社、1985年)、『日本古典文学大系49 竹林抄』(岩波書店、1991年)島津忠夫解説

美術史学関係資料

元久印
椿に小禽図つばきにしょうきんず扇面」
平沙落雁図へいさらくがんず扇面」

元久もとひさ」の朱文壺印しゅぶんつぼいんをともなう室町末期の扇面。元久の伝歴は知られないが、画風から見て狩野元信(かのうもとのぶ、1479-1559)に近い狩野派の画家とみられている。繊細さと力強さが同居した室町水墨画の優品である。もと大徳寺真珠庵に伝来した六十面一具扇面貼交せんめんはりまぜの屏風のうちの二面で、同筆の扇面がメトロポリタン美術館、京都国立博物館などに収蔵されている。メトロポリタン東洋美術研究センターより寄贈されたもの。

「椿に小禽図扇面」

「平沙落雁図扇面」

「椿に小禽図扇面」(左)/ 「平沙落雁図扇面」(右)

【参考文献】武田恒夫「朱文壺形「元久」印「平沙落雁図」「椿に小禽図」扇面」(大阪大学文学部美学科『フィロカリア』1号、1983年)

人文地理学関係資料

高木菊三郎による旧日本軍の中国大陸における地図作製資料

高木菊三郎(1888-1967)は、戦前・戦後にかけて陸地測量部・地理調査所に勤務し、日本軍作製地図の研究に従事した。本資料は、1941年12月に提出した報告書『外邦兵要地図整備誌』の準備段階に、中国大陸における明治以降の地図作製過程を把握するためにまとめられた手描き索引図で、日本 軍の秘密測量、民国やロシア製の地図の複製のプロセスを示す最もまとまった資料である。

高木菊三郎による旧日本軍の中国大陸における地図作製資料

【参考文献】小林茂『外邦図―帝国日本のアジア地図』(中公新書2119、2011年)

陸地測量部修技所に留学した清国陸軍学生の卒業記念写真

陸地測量部修技所に留学した清国陸軍学生の卒業記念写真

陸地測量部修技所は、陸地測量部の設立(1888年)とともに設置された測量技術者の養成所で、外国人の留学生も受け入れ、とくに20世紀初頭には のべ120名以上の中国人留学生を教育した。修技所に在学した留学生のなかからは、中国各地の測量機関や測量学校の幹部になる者のほか、辛亥革命、さらに はその後の中国の政界で活躍した黄郛(1880-1936)のような人材も輩出した。

 

【参考文献】渡辺理絵・小林茂「日本-中国間の地図作製技術の移転に関する資料について」(『地図』42巻3号、日本国際地図学会、2004年、pp.13-28)